雨の鎌倉
少し時間がたってしまったが、先々週、台風の影響による雨のなか、鎌倉へ行ってきた。
実は7月に青春18きっぷ(全国のJR線の普通列車が1回あたり2,370円で1日乗り放題で、1人で5回分または5人までのグループで利用可能)を買ったのだが、なんだかんだで時間がとれず、使い切れずに2日分残っていたので、その消化の意味もあっての鎌倉行きだった。最寄りの駅から鎌倉往復では2370円には達せず、また、有効期間の最終日だったので1日分残ってしまったが、5000円分以上使った日もあるので、一応もとはとったが、もう少し計画的に使うか、ある段階で全部使うのをあきらめて、金券ショップで売却すればよかったかもしれない。
鎌倉に着くころには雨は小降りになっていたが、それまでの大雨のため、観光客はあまりおらず、静かななか2~3の寺院のなかを散策することができた。
写真は北鎌倉からすぐのところにある円覚寺の山門とそこへ続く石段。
これも円覚寺。
江戸時代の縁切寺(駆込寺-江戸時代、強制結婚・夫の不身持に悩む女性を助け離縁の権利を与えた寺)として有名な東慶寺。深い緑の中にたたずむ仏像が印象的だった。
ゴール裏席(サッカーの)に似た感覚を覚えた国会前デモ
今はコンサドーレ札幌の応援に行っても、ゴール裏で他のサポーターと一緒に声を出すことはなくなったが、この3ヶ月強の間、何度も行った国会前の戦争法案に反対するデモでは、何となくではあるが、ゴール裏に戻ったような感覚を持つことがあった。
ゴール裏では、目の前にいる選手たちに向けて応援の気持ちをこめてコールする。一方、国会前でのコールは応援のコールではなく、おもには主張していることに関するコールである。国会前という政治的に象徴的な場所において、大人数でコールをすることによって、マスコミに取り上げさせ、運動を可視化するというのが大きな目的であったと思う。しかし、だんだんと政府と対峙する野党を後押しするという性格も帯びてきた。
もともとSEALDs(シールズ)が進める運動は特定政党を応援しようというものではなく、短期的には法案成立を阻止するため野党の力を結集させよう(利用しよう)というものだった。野党勢力の結集という意図は確実に実現に向かい、6月の後半に行われた渋谷での街宣においては、民主党・共産党・維新の党・社民党・生活の党の国会議員(社民党のみ国会議員のスケジュールの関係か市議会議員の方)が同じ街宣車の上に立つということも実現した。共産党は志位委員長がやってくるという力の入れようで、SEALDsを中心とする若い人たちの動きに一番敏感だったというべきか。(ちなみに、自分は共産党支持者というわけではなく、選挙権を得て以来共産党の候補に投票したことはない? もしかしたら1回くらいはあったかも?)。
さて、話を戻そう。国会前のデモでも、毎回のように野党の議員がやってきてスピーチをするようになっていき、だんだんとサッカーにおけるサポーターと選手との関係に似たようなつながり(政治・社会運動では「連帯」という言葉を使うのか?)ができていったように思う。そうしたなかで、政府と徹底的に闘うことを避けていると見られている議員がスピーチを行ったときはデモ参加者からヤジが発せられ、集会進行役のSEALDsのメンバーがそうしたデモ参加者に対して「僕も〇〇党に対しては言いたいことあるけれど、今は法案反対の力を結集したい。話をちゃんと聞きましょう」という趣旨のことを発言した。まるで、選手に文句をいう一部サポーターに対して「今は選手の後押しをすることに力を尽くそう」と語るコールリーダーのよう。
そして、参議院での採決が迫るなか「野党は頑張れ」というコールが加わり、国会議員も国会前に来て「皆さんの声は議事堂の中まで届いています」と語り、それをうけて、コーラー(コールをリードする人)が「声をそろえて、国会の中に届けましょう」という感じでコールをリード。また、野党議員は国会内の情勢の報告(今休憩中とか何時から再開とか)まで行うようになった。さらに、僕は離脱してしまっていたのだが、法案が通った後、野党議員が最終的な報告のためにやって来てマイクを手にした。これなどは、試合後に選手たちがゴール裏に来るのと、感覚的に重なるものがある。
まあ、今回のことは、デモ側・政治家側がお互いの力を利用して共通の政治課題に向かおうという政治の場におけるものであって、スタジアムにおけるサポーターと選手との関係に重ねて考えるのは無理があると思うが、少しだけそんな感覚を覚えたということで。。。
さて、デモに参加した人たちに共通する要求は立憲主義・民主主義・平和主義の擁護といってよいだろう。そうした運動の高揚をうけて、共産党が安保関連法の廃止を目的とする政権樹立に向けた勢力の連合を呼びかけた(安保関連法の廃止と集団的自衛権の一部行使容認の閣議決定を廃棄した後、衆議院の解散を行うということである)。SEALDsらがそういうことを求めて動くときが来るのかなと思っていたが、若者を中心とする運動にもっとも敏感に反応してきた共産党が早くも動いてきた。問題は他の野党がこの動きにのるかどうかだが、これからも続くであろう国民的な運動が、野党の大同団結を後押しするのではないかと考えている。
個人的には今の政治状況悪化の元凶ともいえる衆議院の選挙制度(小選挙区制)の改正も大同団結の主題にできないものかと思うが、主題を増やすと話がややこしくなるので無理か?
9月19日の朝に思ったこと
18日、国会前に行ってきた。3夜連続である。
参議院での採決が未明に行われるということで、デモは今日(19日)未明まで続いたが、金曜の夜ということもあって、23時を過ぎても閑散としていくことはなかった。最後まで見届けたいという気持ちもあったが、連夜の狭い中での5時間余りの立ちっぱなし、ゲストのスピーチの時間をのぞいてのコールしっぱなし。かつてコンサドーレのゴール裏でコールに加わっていたものといてのプライドもあって(笑)、周囲の人たちに負けない声量を維持しようと無理もした。ということで、やはり23時半ころにはエネルギー切れ。始発で帰宅するという選択肢もなくはなかったが、結局は離脱を選択。
帰宅すると、テレビでは安保関連法案の採決を行うための参議院本会議が中継されていた。民主党の福山氏、維新の党の小野氏、共産党の小池氏の反対討論は、今国会での審議の問題点、法案の問題点を改めて浮き彫りにさせるものだった。今国会の最終盤における野党議員の諸演説はにおいても同様のことがいえると思う(全部は見ることはできていないのだけれど)。
法案は通ってしまったが、各地で反対の行動を続けてきた人々に落胆のムードは漂ってはいない。それは、当初、7月で決着がつくだろうと思われていた国会論戦を9月の中旬まで引き伸ばさせることができた要因の大きな部分は、いまだかつてないほど多くのデモや集会が行われたことにあると思われるからだ。それらが報道されることにより反対の動きが可視化され(一部の大マスコミは政権の考えを忖度してできる限りデモの動きを小さく見せようと努めていたようだが)、多くの国民に考えるきっかけを与え、それがさらに運動を拡大させ、そしてそれが政府への圧力となったことは間違いのないところだと思う。
それでもデモの意義を認めたがらない冷笑者たちは、「結局、法案は通ったじゃないか」と言うかもしれない。しかし、闘いはここで終わりではないのだ。この間(かん)、いまだかつてないほどに広がった運動は、すでに次の段階へと向かって動き始めている。ここ数日、デモのコールに「賛成議員は落選させよう」というものが加わった。そして、この運動は、当面、今回成立した法制に対して起こされるであろう違憲訴訟(憲法学者で慶應義塾大学の小林節名誉教授は「法律は憲法9条に違反し、平和に暮らす権利が損なわれる」として、研究者などおよそ100人の原告団を作り、今後、国に賠償を求める訴えを起こすことにしている-NHKニュース)などとも連携をとりながら来夏の参議院選挙を目標に続けられと思う。もちろん、その先の選挙・自公政権打倒も視野にいれつつ。
しかし、運動は政権交代で終わりではなく、再び憲法を無視した、なんでもありの政治を実施するような政権を誕生させないような動きとして、ずっと続くと思う。人々がいったん政治に対して無関心になってしまうと、今回のようなことが起きてしまうことを人々は学んだからだ。
6月5日、梅雨の季節、強い雨のなか、SEALDsの主催するデモに参加してからすでに3ヶ月強、いつの間にか、キンモクセイの香りの漂う季節になった。戦争法案成立阻止をめざすデモはとりあえず終了したが、立憲主義・民主主義・平和主義の擁護を求めて闘った人々は、その歩みを止めない。
9月16日国会前
9月6日夜、戦争法案に反対する国会前のデモに行った。
政府のやり方はもう滅茶苦茶。いちいち書くべき言葉もない。
国会前の警察による過剰警備も相変わらず。
通称「かまぼこ(こんな通称があることを初めてしった-笑)」と言われる警察車両がずらりと並び、デモ参加者が広範囲に広がるのを押しとどめようとする(多くの人々が抗議の意思を示そうとしている絵を報道させたくないという官邸の意思を反映しているといわれる)。この厳しい警備の様子は海外でも報道されており、「日本って民主主義国家じゃなかったっけ?」と疑問を持たれているのではないのか?
昨夜は終電の少し前まで、およそ5時間半くらい冷たい雨のなか、国会前にいたが、SEALDsをはじめ未明まで抗議を続けた人たちも。そして、SEALDsのメンバーはゴミを拾ってから撤収とか(デモ参加者のほとんどはゴミを散らかすなどということはしないが、残念ながら沢山の人々の中にはモラルを欠く人がいてやはり少しはゴミが散らかってしまう)。
東京では冷たい雨が降り続いているが、今日も抗議活動は続く。幸い、自分は自由業で今日も参加可能である。ということで、今日も参加、である。
安保関連法案に反対する学生と学者による街宣行動に行ってきた
写真は現代美術作家奈良美智(ならともよし)氏の作品で、ビッグイシュー9月号の裏表紙。
今日はこれをプラカード代わりに持って、新宿の歩行者天国で行われた「安全保障関連法案に反対する学生と学者による街宣行動」に行ってきた。
そう、また、安保法制反対の行動に関する記事である。6月からしつこくこの手の行動に参加しているが、今日は雨の予報もあり(途中からかなり強い雨になった)、実は参加をためらう気持ちもあった。そういう感情が生まれるのは普通だと思う。しかし、今はそういうわけにはいかないのである。
今日は、新宿に12000名くらいの人が集まったということだが、休日の新宿ということで、通りがかりに街宣行動を見ていった人も多いと思うし、意識して集まった人で、こうした場に初めて参加した人たちも確かにいたと思う。しかし、圧倒的多数は、ふだんから国会前などの抗議活動に参加している人たちだと思う。SEALDsの「Tell me what democracy looks like.」というコールに対して、当たり前のように「This is what democracy looks like.」とレスポンスする人たちが沢山いたので。
今日は街宣ということで、いつものデモとは違い、学生、学者、民主党・社民党・共産党の代表者のスピーチが中心であったが、いつもと同様に、大人数が参集してマスコミに注目させ、報道してもらうことにより、より多くの人たちに今起きていることに関心を持ってもらう、政権側に反対運動の勢いはますます盛んであることを知らしめるという目的があったかと思う。
安保法案の行方はどうなるかわからない。しかし、安保法案のみならず、自民党のめざす改憲の動き(基本的人権に対して制約を加えることができるような内容があるなど「壊憲」ともいうべきもの)を止めるためには、今の運動を息の長いものにして、無関心層をこちら側に引き付けていく必要があると、運動に参加している多くの人たちは考えており、だからこそ、最近日本各地で街頭に出て、さまざまな行動をしている。
アメリカの公民権運動を指導したキング牧師の言葉に次のようなものがある。
「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。」
現在の安保法案や政治のあり方についても同ことがいえると思う。心の中でおかしいとは思っていても、黙っているのは承認しているのと同じなのである。
しかし、現在の一部のマスコミの報道の状態だと、国会の状況(政府の答弁が滅茶苦茶なこと、国会を無視する形で自衛隊と米軍の協力体制が築かれつつあることが明らかになってきていること)、デモの規模・数の多さなどを知らずにいる人たちがけっこういるのではないか。