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My こころ旅

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少し前に『にっぽん縦断こころ旅』のことを書いた

視聴者から寄せられた手紙につづられた思い出の地などを俳優の火野正平さんが自転車で訪れ、その場所でその手紙を読むという番組だ。

今、少しずつ両親の残した写真を見たりスキャンしたりしているが、アルバムをチェックしてみて、けっこうあちこちへ出かけていたことを改めて知ることが出来た。

僕は東京へ出てからしばらくは、帰省の頻度はとても低く正月やお盆すら帰らないという年が続いていた(お盆や正月の時期の仕事を敢えて断らなかった)。そのせいもあって両親のお出かけについてはあまり把握していなかった。海外へ行くときは計画段階から知らせてくれたので一応把握していたが。

また、父が亡くなった後、母は学生時代の仲良しと出かけることがけっこうあったようで、それについては割りと把握しているつもりだったが、やはり写真を見て初めて知るものもあった。

僕が一緒に行って思い出を共有しているわけではないのだが、両親が訪れた場所で僕が行ったことのないところを訪れ、「こんな場所に来たのか」と感慨のようなものに浸りたいと思い、ちょこちょこと出かけている。テレビ番組の『こころ旅』とはかなり趣向が異なるが、自分にとっては十分『こころ旅』だ。

202406山野辺の道桧原神社近く

上の写真は山の辺の道にある桧原神社の近くの風景。

両親が京都・奈良を旅した際、なぜか桧原神社から桜井駅までという半端なルートを歩いていることをアルバムを見て知った。

「山の辺の道」は『日本書紀』にも見える古道で、奈良盆地の東に連なる山々の裾を縫うように、三輪山の麓から奈良へと通じる道。この道はは高校の修学旅行の自由行動の日に一部歩いたことがあったが、両親が歩いた場所は行ったことがなかったので、6月、急に思い立って訪れてみた。雨の中を歩くのはいやなので、天気予報で晴の確率が高いことを確認してから航空券を購入した。

新千歳から関空に飛び、大和八木駅近くで1泊して翌日山の辺の道へ向かった。午後の飛行機で北海道に戻るので時間があまりなく、両親が歩いたルートに絞ってあるこうと巻向駅から桧原神社へ向かって歩き出した。

両親のアルバムには上の写真と同じあたりにあったと思われる「大和の青垣」の案内板の前で撮った記念写真が残っており、それを探してこの辺りを歩き回ったのだが、近年、その案内板はなくなったようで、場所を特定するのにかなり手間取ってしまった。

ちなみに、奈良盆地の四周を囲む山地は、昔から青垣山と称されていて、奈良盆地の東部に発達する丘陵地帯を中心とした地域は1970年に大和青垣国定公園として指定されている。そのことを記した案内板が少し前まであったのだがなぜ撤去したのだろうか?

この後、大神神社・平等寺を回り、桜井駅まで歩き、関空に移動し札幌への帰途についた(けっこうあちこちで写真を撮ったのでそのうちホームページの方にアップする予定です)。


6月末には自転車で札幌市内の百合が原公園に行ってみた。母が学生時代からの仲良しと出かけたときの写真があり、どんな場所なのだろうと思ったので。

202406百合が原公園01

上の写真は百合が原公園と僕の自転車。

百合が原公園はかなり広大な公園で、あちこちに季節の花々が植えられていて、また、園内をリリー・トレインなる乗り物(ちゃんと線路の上を走る)もあって、いつも多くの市民でにぎわっているようだ。

7月の初めには日帰りで道東の霧多布岬へ行ってきた。

両親は車で道内をくまなく回っており、僕が行ったことのない場所も多い。

道内の観光地は公共の交通機関ではアクセスできない場所も多いのだが、霧多布の街から岬までの区間を除くとほぼ公共の交通機関のみでアクセスできるので行くことにした(時間がたっぷりあれば岬まで歩くのも無理というわけではないが時間が限られているのでタクシーを利用した)。

なお、夏季の霧多布は霧の日が多いので、入念に天気予報をチェックして出かけた。

202407霧多布岬

上の写真は霧多布岬。花も咲き乱れていて、一番良い時期だったと思う。

202407霧多布岬のラッコ

上の写真は花越しに撮ったラッコ。コンデジの10倍ズームレンズで撮ったのだが、これが限界。お腹というか胸の上に子供を抱いているさまはわからないか?(肉眼では子供を抱いているさまが見えたのだが)

この小旅行は札幌から日帰りで出かけたのだが、色々と写真を撮ったので、そのうち旅行記をアップするつもりです。

何か立て続けで小旅行へでかけているが、7月前半、東京の自宅のチェックに行くついでに大分の国東半島へ出かけた。全然、ついでという感じではないが、新千歳から大分までの航空券は乗り継ぎ割引になるので、ついでなのである。

国東半島へは学生時代に行ったことがあるのだが、両親のアルバムを見るとやはり行ったことがない場所の写真があり、行ってみることにした。

昼過ぎに大分空港に到着して、夕刻の飛行機で東京へ飛ぶ予定である。6時間くらいしかないが、空港が国東半島にあるので、国東半島の何か所かをめぐるだけならば十分である。レンタカーが必須だけれど。

今回も例によって天気予報をチェックして晴れることを確認してから航空券を購入した。

今回の目的地は熊野摩崖仏、天念寺とその前にある石仏、両子寺。

 

202407熊野摩崖仏

上の写真は熊野摩崖仏。学生時代以来の訪問だから40年ぶりくらい。木が生い茂っていて不動明王像の顔がちゃんと見られなかった(何か処置を考えているという張り紙があった)。

202407長岩屋川の川中不動

上の写真は天念寺の前を流れる長岩屋川の川中不動。学生時代に国東半島へ行ったときは、路線バスを利用して観光することが可能だったのだが、本数が少なく、ここは訪れることが出来なかった。

202407両子寺

上の写真は両子寺。ここも学生時代に訪れている。

この後、空港まで戻り東京に飛び、1泊後札幌に帰った。この小旅行もけっこう写真を撮ったので、そのうちホームページの方にアップする予定です。

上記のお出かけのうち、札幌の百合が原公園は近いので別として、そのほかの場所もすべて日帰りか滞在24時間以内。何とももったいないお金の使い方だが、母とすごした最後の何年か、所要があって東京へ出るとき母を一人にする時間をなるべく短くするため、1泊2日か日帰りで帰宅していたときの感覚が染みついて、いまだに実家を3日以上あける気にはなれないでいる。もう家に母はいないのに何か留守番させている感じなのだ。他人が見るとさぞかし奇妙に思われるだろうが、そんな変な感覚が残っている程度の母の死後の精神的落ち込みからの回復状態ではある。

まだまだ、父と母の足跡を訪ねる旅には行きたいと思うが、これから1カ月半くらいは酷暑が続き、おまけに新型コロナ感染の大流行という状況もあり、その後は台風シーズンがやってくるのでしばらく休止して、10月の半ばくらいになったら天気予報を見ながら再開しようかと思う。

自転車のライディングポジションの調整

202407モエレ沼公園

購入以来、サドルの高さなどには無頓着だったが(買った時は主に通学のためでそんなに長い距離を乗ることがなく、その後も長い距離を乗ることはなかったため)、脚の力が効率的にペダルに伝わっていない感じがしたので、サドルを少し高くしてみた。

それで、試しに数キロと思って走り出したのだが、けっこうよく進む感じがして調子が良かったので、モエレ沼公園まで行ってしまった(上の写真)。距離は片道9キロくらいか?

試走は上々だったかに思えたが、サドルの高さを上げるということは前傾姿勢が強くなるということ。

そんなに極端な姿勢になるわけではないのだが、あごを上げると首が疲れる。筋力がなく、柔軟性もないせいなのだと思う。

そんなに力を入れてめいっぱい走るつもりはないので、姿勢はもう少し立った状態で乗りたい。ということで、帰宅後、サドルを心持ち下げ、ハンドル高を心持ち高くしてみた(ハンドルの角度調整はやっていないが、そのうち試してみるかも)。

少し涼しく、風も弱い日を選んで、20キロくらいの試走をしてみたいと思うが、この夏も札幌は暑く、本格的な試走はしばらくできないか?

蛯子真理央さんのエッサウィラを描いた絵にひかれた理由

200608エッサウィラ

もうけっこう時間が経ったが、以前、母の付き添いで通ったクリニックの待合室に飾ってあったモロッコのエッサウィラを描いた絵画のことを書いた
その時は書かなかったが、なぜ、エッサウィラを描いた絵に魅かれたのか。もちろん、旅行が好きでモロッコにも度々出かけていたということもあるが、エッサウィラを訪れた時の自分の心持ちが、件の絵への関心を強くさせたのだと思う。

エッサウィラには2度訪れている。最初が1999年春、2度目は2006年の夏。そして、件の絵画は2006年のエッサウィラ訪問の記憶を呼び起こした。

2006年の夏、エッサウィラへ行こうと思うきっかけになったのは、その何年か前から交流を持っていたあるホームページ(ブログ)にアップされたモロッコ旅行記(旅先からアップされた日記かもしれない)だったと思う。その旅行記(ブログの日記)にアップされた写真とほとんど同じ構図の写真を自分も撮っており(この記事冒頭の写真)、それは影響を受けてのである可能性が高い。件の絵画の構図はそれらの写真の構図は似通っており、それがその絵に対する興味をかき立てられた要因だと思う。

2006年夏のモロッコ旅行は直前まで行けるかどうかわからない状態だった。なぜかというと、その年の早い時期から父がガンで入院して(何度目かの入院だったと思う)闘病生活を送っており、夏には容体が芳しくなくなる日もあったからだった。ずっと持っていなかった携帯を緊急の連絡用に買ったのもこの年だった(購入したのはPHSの通話ができてPCメールも送受信できるW-ZERO3という機種)。

2006年当時書いた旅行記(ホームページに載っている)を読むと、父の病気のことは伏せてあり、ただ「直前まで行けるかどうかわからない状態だった」というようなことは書いてある。この直前まで行けるかどうかわからなかった理由が父の病状だったのだ。

記憶は定かではないが、出発直前の時期、父の病状は割と安定して、母が旅への背中を押してくれたのだったと思う。しかし、旅に出ることにはしたものの万が一のことは考えておかねばならない。ということで、出国当日成田空港で携帯をレンタルした。当時、携帯の国際通話がどの程度普及していたのかは記憶にないが、自分が使っていたPHSでは国際通話はできなかった。レンタル携帯は、当時、世界を席捲していたノキアの携帯。起動時や着信時のメロディーは記憶に残っており、海外旅行に行くとあちこちで聞こえるほどノキアの携帯は普及していた。

携帯を借りるだけでは緊急時には対応できない。すぐに帰国できるよう心の準備もしていた。今ならばネットで片道の安価な航空券が手に入るが、当時はそうはいかなかった。モロッコからの緊急帰国の方法は、まず、ノーマル運賃でパリまで飛ぶ。そして、パリの旅行代理店でなるべくすぐ出発できる日本行きの便の航空券を手に入れる。ただし、夏の多客期なので安い航空券が手に入らない可能性も高い。その場合、パリからもノーマル運賃の航空券を買おう。そんな覚悟を決めて出発した。

この旅の際にとっていたメモが残っているので、これを書くにあたって読んでみた。エッサウィラへ向かう前日の母との電話で父の病状が悪化したことを聞かされた。熱が出て、血液検査の結果、白血球の数も増えていると。しかし、幸い、エッサウィラに着いてからすぐの電話では容体は安定したという話を聞くことができた。詳細は覚えていないにしても、この夏のモロッコ旅行はそんな記憶と結びついている。ちなみに、その時の父の容体の悪化は、その後のさらなる悪化の始まりで、帰国して2週間くらい後、帰らぬ人となった。

パスポート発行の手数料、マイナンバーカードを利用しない従来型の書面での申請の場合、300円値上げ

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政府がタイトルのようなことにすると決定したと報じられているが、これって「法の下の平等」に反するものだろう。

マイナンバーカードの所持は任意、つまり個人の自由なのだ。それなのに、それを利用しないものに300円とはいえ不利益を与えるというのは。。。もう、開いた口が塞がらない。異常だろう、これ。

従来通りの書面による手続きだと経費が余計かかるとかいっているようだが、これを認めると、例えば、同じ証明書を発行してもらうとして、相談時間が長かったとか言われて手数料に差をつけられることを認めることになってしまう。

額が小さいからといって、このようなことに慣れてしまうと、なし崩し的に何でも好きにされてしまうだろう。

認知症の母親と生活した時間は幸せな時間だった

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少し前のことになるが、ある女性芸能人が語った内容としてネット記事に次のようなことが載せられた。

母親の認知症が進んで以降、母親を抱きしめたり、思い切り甘えたりするようになった。昔はちょっと怖い(威厳のある)母親で自分がそんな態度で母親に接するようになるとは思いもよらなかった、というような内容だったか?(その記事を目にしてから随分経ってしまったので、正確ではないが、そんな感じだったと思う)

今は世の中に認知症の高齢者は沢山おり、認知症の親とその子との関係も色々だと思う。

記事にあるようなある種幸せな関係を持つことができる親子は多いのか少ないのか、それはわからない。

しかし、自分の場合、幸いにも、件の女性芸能人と同様とても良い関係を築けていた。

抱きしめるとか、甘えるとかまではできなかったが、通院の際などの際には足もとがおぼつかない母を支えるため手をつないだり、クリニックの待合室の長椅子ではかなりぴったりふっついて座って順番が来るまで話したり。。。

母がしっかりしていたころならば薄気味悪がられたかもしれないが。

もちろん母はは突然変なことを言い出したり、急に機嫌が悪くなったりすることがなかったわけではない。しかし、それらは概してマイルドなものだった。

思えば、かかりつけ医に恵まれていた。

母はもともと血圧がかなり高い状態で循環器科のクリニックに通っていたのだが、降圧剤などの薬では抑えが効かない状態で、時々、暴走といってもよいほど血圧が高くなることがあった。それで、かかりつけの医師は自律神経というか精神の方の制御が必要ではないかと、知り合いの神経内科の受診を薦めてくれたのだ。

そして、従来通り、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬、血管を広げる薬を飲みつつ、安定剤を服用し、自分は循環器科の医師のアドバイスを参考にしながらコレステロール値を下げるのによい食事を用意するようにした。

そうすると血圧は安定、降圧剤も少し弱いものに変更できるまでになった。

もともとは血圧の暴走を止めるために飲み始めた安定剤だったが、それが、認知症にともなう精神の不安定からくる諸問題を抑制してくれたように思う。

そのお蔭で、最晩年の母の思い出として心に残っているのは、穏やかでニコニコしている姿ばかりである。

どんどん気持ち悪い国になっていく日本

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  • 政治

まだ、詳細は確認していないのだけれど、政府は携帯電話契約の際の本人確認はマイナンバーカード以外使用できないようにしようとしているようだ。

今や人々にとって必需品となっているともいえる携帯電話が、取得が任意であるマイナンバーカードがなければ持つことが出来ないことになる。

マイナンバーカードの取得は任意であり、そしてそこに記録されている情報が何等かの形でもれて被害をこうむったとしても、政府は一切責任を負わないことになっている。被害があった場合はすべて自己責任だ。そんな代物をなんだかんだ理由をつけて持たそうとしている。

マイナ保険証というものも、巨額の予算を使って普及させようとしているが、利用者は5~6%とかいうではないか。それでも今年の末には健康保険証を廃止する。

所持が任意のものを、それがないと不便になる状況をどんどん作って、無理やり持たそうする(健康保険証についてはマイナンバーカードと保険証の紐づけをしていなければ資格確認証というが発行されるが)。なんて陰険なのだ!

今や、パスポートに住所欄がなくなり、身分証明書として利用できる範囲はほぼなくなってしまったようだ。

裏金問題で大逆風が吹いているのにもかかわらず、国民に不人気の政策を強行する。これは大きな利権がからんでいると見られてもしかたがあるまい。

多くの国民がマイナンバーカードを持ち歩き、色々なサービスと紐づけて利用すると、いわゆるビッグデータというものが得られる。これは経済界にとってはとても貴重なデータのようだし、カード読み取り用の機器などもものすごい数となり巨大な利権だろう(現にマイナンバーカード関連企業から自民党への献金はかなり巨額であることがわかっている)。

前にも書いたことがあるかと思うが、裏金問題で次の国政選挙が厳しいので利権グループの結束を強化して乗り切ろうという魂胆でもあるのだろう。なんの根拠もない憶測だが、自民党のこれまでの行動はそう憶測させるのに十分だと思う。

「アメリカへのコロナウイルス長期障害の脅威が現実のものになってきた」という内容の報告

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一昨日、新型コロナウイルス感染症の後遺症というか長期障害に関して少し書いたけれど、その手の情報は続々と出てきている感じだ(日本ではあまりというかほとんど報道されないようだけれど)。

最近、またアンテナを張り巡らせるようにしているのだが、次のような情報がひっかかってきた

アメリカで発信されたもので、「アメリカへのコロナウイルス長期障害の脅威が現実のものになってきた」というようなもので、そこに示されている問題点は、4月時点で約1370万人が長期障害を負っていて女性の罹患率が高い、1年以内に回復する人は22%にすぎない、子供も罹患し発達に影響を及ぼす、1型糖尿病の率が上がる、等々。

一方で、記事には、長期のコロナ患者にどのような薬や他の治療法が役立つかに関するデータは蓄積されつつあるというポジティブな内容も見られる。とはいえ、現段階で新型コロナウイルス感染症をもう終わったもののごとくとらえるのは、やはり問題があるのでは?と思っている。

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