新疆の精華カシュガルへ(2)

カシュガル行きの飛行機の出発は夕方6時20分発だったが、4時すぎタクシーを奮発して空港へ向かった。民航の空港バスより早く着いて、天山山脈を眺めるため窓側の席を確保したいというのが、大きな理由であるが、もう一つは体調がすぐれないこと。下痢ぎみなのである。ウルムチへの飛行機で一緒になった日本人旅行者の一人も同じ症状になっていたから、一緒に食べた何かが悪かったと思うのだが・・・。

搭乗待合室で2人連れの日本人女性と知り合った。一人はハルビンで日本語教師をしているというM先生、一人は同じくハルビンで中国語を勉強しているというCさん。この2人とは1週間行動をともにすることになる。

ウルムチを飛び立つとあっという間に緑色の大地は見えなくなり、やがて眼下に雪をいただいた白い峰々が見えてきた。天山である。天山を超えるとすぐに薄茶色の大地がひろがった。タクラマカン砂漠だ。雲はまったくないが、地面ははっきりとは見えない。おそらく砂埃のせいだろう。8時近く、砂漠が切れて耕地が見えてきた。カシュガルのオアシスである。



カシュガル空港


飛行機を降りたところでさらに2人の日本人と一緒になり、空港バスでカシュガルの街に出た。

さて、ホテル探しであるが、当時カシュガルで外国人が泊ることの出来るホテルは、老賓館と新賓館の二軒しかなかった。僕らは新賓館を選択し馬車に乗った。人間の街中での移動は自動車より馬車・ロバ車が中心だった。 



新賓館前の道。


カシュガルの日はなかなか暮れなかった。ウルムチよりもさらに1000キロ以上も西に位置するので、北京時間の10時近くなっても、ほとんど真昼という感じだ。外の熱気が部屋に伝わってくるからなのか、それとも自分自身の熱のせいか、部屋が暑く感じられた。11時過ぎ、ようやく暗くなり始め、少し涼しくなってきた、体調は最悪で、熱をはかると38度。下痢もかなりひどく、その夜はトイレへ通うこと6度、ほとんど眠れなかった。

 翌朝、体調は少しはましになったが、本調子には程遠い。民航へ行って帰りの航空券を確保し、また部屋へもどってやすんだ。しかし、街へ出るそのたびごとに馬車に揺られてというのも疲れる。



ふかしたジャガイモを売る少年たち。手前の子は商品を食べている。


 部屋で休んでいると、カシュガルからバスで来たという日本人旅行者が僕の部屋(4人部屋のドミトリー)にチェックインしてきた。この人、昨日カシュガルへ飛行機でやってきた人のお兄さんで、バスで来たいので一足先にウルムチを出発していたとのこと。陸路の旅は思ったほどつらくはなかったとのこと。いずれウルムチ-カシュガル間を陸路で移動したいという思いを強くした。

 5時すぎ、M先生ら日本人3人とホージャ墳へ行った。これはイスラム式のドームを持つ建物で、カシュガル一の見所といわれるもので、17世紀にカシュガル地方の政治・宗教の実権を握っていたアバ・ホージャが父の墓を建てたことに始まるという。



ホージャ墳の入口。



ホージャ墳。


その夜、僕らの部屋ではちょっとしたパーティーがあった。ウルムチからバスで来たKさんが街で仕入れてきたブドウ酒、そしてトルファンからバスで来た中国で日本語教師をしている男性の買ってきたハミウリでのパーティーだった。この2人とM先生、Kさんの妹さんら、6人で始めた(あとから2人が加わり総勢8人に。このころの中国では外国人の泊れるホテルが極端に少なく、これだけの日本人が一緒になることも珍しくなかった。)僕はといえば、相変わらず腹の具合が悪く、1人ベッドで横になっていたが、勧められるままに食べたハミウリが最高にうまかった。もうこうなったら腹などどうでもいい。さらに一切れハミウリをいただく。そしてブドウ酒も。そして、この甘味の強いブドウ酒は、2日間食事らしい食事をとっていない体にしみるようだった(とはいっても僕はアルコールは駄目なのでほんのちょっとなめただけなのだが)。

翌日(12日)、カシュガル出発の日ではあるが、飛行機は21時半ころなのでたっぷり時間がある。体調も回復傾向なので、午前中はバザールへ出かけた。目指すは、前日M先生の見つけたウイグル風ピラフ、ヨーグルト、アイスクリーム、それから色々な珍しい物。



現在のカシュガルにこんな雰囲気の道はないと思う。


馬車を降りるとすぐにヨーグルトを売る人がいた。お茶づけどんぶりくらいの大きさの器にいっぱい入っており、味はプレーンヨーグルトだ。スプーンもなにも持っていなかったので、ナン(中央アジア西アジアなどで広く食べられているパン)を買って、それをスプーンがわりにした。しかし、その焼きたてのナンがうまかった。カシュガルの街で売られていたナンは、小麦粉をこねただけのを焼いたものではなく、中に玉葱が入っているというしゃれたものだった。僕はついついスプーンの方をかじってしまった。





ラグ麺屋やピラフを出す食堂の少年。彼が料理していたわけではありません。



エーティガール寺院。


その後、エーティガール寺院のそばのバザールに入った。まだ時間が早いせいか閑散としている。

カシュガルのバザールの店々には必ず日よけの布が張ってあって、店の密集している所は薄暗い。その中で真白な長い髭をたくわえたウイグルのおじいさんが客を待っていたりする。





ウイグルの男の日常品であるナイフ屋の前を通ると盛んに買っていけという。外国人旅行者がよく買っていくのだろう。珍しいものなのでお土産に沢山購入。手回しのアイスクリーム製造器製のアイスクリーム、ピラフ、そしてエーティガール寺院見物と予定を消化してからホテルで一休みしたあと、カシュガルに残る人たちに別れを告げて出発した。ほこりっぽい町を馬車でシャンシャンと行く。途中、ウイグルの子供たちがバイバイと手を振る。馬車で通り過ぎるたびに聞いた彼らの声ともこれでお別れだ。

9時25分、ジェット機はカシュガル出発。帰りの天山は薄暮の中だったか、これもなかなかいい。天山に別れを告げると、もうすぐウルムチだ。



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