ハッジャへの道

3月13日。7時に出発。今日もまた早い出発だ。ハッジャまでどれくらいの所要時間かわからないので、ドライバー氏の提案に従うしかなかった。

ハッジャはサナア北西にある町だが、ガイドブックには取り立ててみるべきものはないと書いてある。それよりも途中の景色が絶景なのだそうだ。

サナアを出て1時間くらいだったろうか(ここのところはメモがなく正確ではありません)、車はアムランの街で停車した。早朝なので閑散としていたが、イエメンの伝統的な建築が並び、サナアとは違った趣があった。


アムランの街。サナアに比べると建物がずっと質素だ。 



アムランの街の門(だったか?)。



アムランの旧市街。早朝なので閑散としている。フリーハンドで描いたような商店街(?)の石造りのひさしが何ともいえぬ趣。



アムランをすぎると、道は山岳地帯にはいり、カーブが多くなりいくつもの峠を越えていった。しかし、山岳ルートにもかかわらず、道は立派な舗装道路であった。サウジアラビアと結ぶメインルートなのかもしれない。

ガイドブックにある通り、この山岳ルートの景色が素晴らしかった。老ドライバー氏は、ところどころの絶景ポイントで「フォト」といって車を停めてくれる。山の上や中腹に小さな集落があり、斜面には段々畑が広がっている。残念なことといえば、畑に作物のある季節ではないこと、そして霧だった。霧の向こうにうっすらと見える集落も趣があってよかったが。。。



ハッジャに向かう途中で見た山上の集落。ここの畑には緑が見られた。ドライバー氏の説明がよく理解できなかったが、段々畑の作物として近年カート(イエメン独特の嗜好品)が多く植えられるようになっているとのこと。写真の緑はカートの木なのだろうか?



山の上の方を通る道から眺めた段々畑と集落。山の上から谷底までずーっと畑が続いている。



11時ころハッジャに到着したが、この頃には益々霧が濃くなってきたので、早々にサナアに戻ることにした。これで今回のイエメン観光は終了である。


霧の中のハッジャ。



3月14日、7時の飛行機に乗るため、4時半にチェックアウト。早起きが続く。

空港では日本人の学生グループと一緒になった。このイエメン旅行で初めて会った日本人だ。彼らの話によると、サナアの北西にあるシャハラという山岳部族の村(急峻な山にかけられた石橋で有名)へ行きたいとサナアの旅行社に問い合わせたところ、「そこは写真で見るだけにしておいた方がよい」とアドバイスされたとのこと(北部の山岳部族居住地域と政府との関係は、その後変化したのかサナアからシャハラへのツアーに参加したという旅行者のホームページもある)。

<おまけ>
帰国便への乗り継ぎの関係でカイロに一泊。ということで、エジプト考古学博物館をじっくり見学することにした。


超貴重な遺物が所狭しと展示されている。ちなみにこの頃はまだ館内での写真撮影可だった。ちなみに、その後禁止になり2016年くらいから写真撮影可(カメラ券購入)となったが、ミイラ特別室・ツタンカーメン王黄金のマスクルームも撮影禁止らしいです。


 

ツタンカーメンの黄金のマスク。