パルミラ遺跡(シリア)

 パルミラはシリア砂漠のど真ん中に位置する。しかし、豊富な地下水が湧き出るオアシスで、紀元前1世紀から、地中海とメソポタミアを結ぶ交易路の中継地として栄えており、ローマ帝国と結んでいた。しかし、3世紀後半、パルミラの女王ゼノビアは、ローマから自立するという野心をいだき、結局ローマ軍に破れ、パルミラの街も壊滅に追い込まれた。ローマ帝国の街に特有の列柱道路が街の中心を貫いており、いくつかの神殿、劇場などの建造物が残る。(2015年、この地域を支配下に置いたISによっていくつかの建造物が爆破・破壊されてしまった。)

*インプレッション
 広大な遺跡である。少し離れて遺跡全体を眺めるもよし〈特にアラブの城塞からの眺めは最高)、列柱道路を中心にブラブラ歩き回るもよし。列柱の向こう側に沈む夕日も綺麗。


アラブ城塞から望んだパルミラの全景。パルミラへは、1990年・1993年・2001年・2009年と4度訪れたが(いずれも3月)、これは09年に撮影したもの。風が強めで微細な砂塵が舞っていたためか、、今一つのすっきりしない眺めだった。そしてこの後強風が吹いて非常に見通しが悪くなった。



奥の山の上に見えるのがアラブ城塞(90年)。1990年、初めてここを訪れた時、この城は立ち入り禁止だったが、2001年に訪れた時には、綺麗に整備され入場料をとる施設になっていた。01年には登りだけ車を雇って、帰りは歩いて遺跡へ下り、09年には登り下りとも歩いてみた。日差しが強いと登りはきつい。



遺跡内で唯一入場料金が必要な最高神べル(バール)をまつったべル神殿(90年)。



ベル神殿本殿(90年)。



柱に施された豊かさを象徴するブドウの彫刻(93年)。ベル神殿のエリアで撮ったもののはず。



柱の向こうに見えるのはベル神殿(01年)。



劇場(90年)。



記念門(09年)。



校外学習に来ている(?)子供たち(90年)



四面門(01年)。雲が多いが、この日の夜には雨が降った。



バールシャミン神殿(09年)。空が霞んだ感じになっているが、この後、強風が吹き荒れ、見通しがとても悪くなった。



朝のパルミラ遺跡(09年)。バイクが通る遺跡って珍しい?



夜に降った雨のおかげで、一気に緑が濃くなった(01年)。春は比較的雨が多いらしい。



広大(93年)。



うっすらとはえた草をはむ羊たち(93年)。



墳墓塔群(93年)。



地下墳墓(01年)。墓の管理人が「シガレット・シガレット」というので何のことかと思って聞き返すと「シークレット・シークレット」と言っている。どうやら「写真を撮っていいぞ。だけど秘密・秘密」と言いたいらしい。もちろん彼の望みは「そでの下」である。お言葉に甘えて若干の袖の下で撮らせてもらった。




ベル神殿で出会った子供たち(90年)。友好的なムードの写真に見えるが、「ペン、ペン(をくれ)」とまとわりついてきて、非常にうるさい子供たちだった。どうやらちょっと前に日本のテレビクルーが撮影に来てペンをばらまいたらしかった。以前は、あちこちの途上国旅行用のガイドブックは、お土産を持って行くととよいとか書かれているものがけっこうあったという印象だが、いまだにそんな内容が残っているのだろうか? お土産なんてなくても十分交流できるのに。それにしても、内戦がひどくなり、ここに写っている彼らはどうしているのだろうか? ありきたりな言い方になってしまうが、本当に悲しい。


遺跡内にある唯一のホテル、ホテル・ゼノビア。左は1990年、右は2001年の客室。1990年には、トラック運転手なども泊る安宿の雰囲気(20ドルもしたので料金は中級レベルだったが)を持つ質素なホテルだったが、その後大改装がなされ、スチームも通り、レストランも整備され、一気に高級感が増した。中央はホテルのロビーに掛けられた女王ゼノビアの肖像画。



ホテルゼノビアの前から見たパルミラの夕景(90年)。その後、3度の訪問では、こんな奇麗な夕焼けは見られなかった。90年はラッキーだった。


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