アブシンベル神殿

次の目的地はアスワン。アブシンベル神殿観光の拠点である。

3月10日、10時ころ、アスワン行のバスに乗った。

アスワンまでの200キロを4時間で走ることになっているが、バスは性能目一杯のスピードで突っ走っているから早く着きそうだ。結局、1時にはアスワンに到着した。予定より30分遅れて出発したのにもかかわらず、30分早く到着した。日本では考えられないことだが、このいい加減さが、またエジプトらしい。

アスワンではナイルに面したホテルに落ち着いた。部屋にはナイルが望めるバルコニーがあり、ちょっと汚いもののトイレ・シャワーつきだ。しかし、これで日本円で600円程。

ホテルは決まった。次はアブシンベル神殿へのチケットだ。

アブシンベル神殿は、アスワンの南280キロ、アスワンハイダムによってできたナセル湖のほとりにある。ホテルのフロントでアブシンベルツアーに誘われたが、アスワンからは、かなりの距離なので、早朝5時の出発だという。ちょっと早いし、飛行機からナセル湖を眺めながらアブシンベルの遺跡に接近したい。それでフロントの誘いは断って、エジプト航空のオフィスへ行った。

しかし、翌日のアブシンベル行きは満席で、13日のカイロ行きのチケットだけを確保してホテルに戻った。ホテルでは、さっき「明日のアブシンベル行きのチケットを用意できる」という旅行代理店の人がいたので詳しく聞いてみると、米ドルで100ドルというではないか。しかし、そんなに高いわけがない。それでもう一度エジプト航空に行って聞いてみると160ポンドだという。100ドルは約260ポンドだから、旅行代理店は100ポンドも手数料を取ることになる。これではほとんどダフ屋だ。馬鹿馬鹿しくて頼めない。12日のアブシンベル行きがとれなかったらホテルのツアーに参加することに決め、もう一度エジプト航空のオフィスへ足を運んだ。すると、12日の分ならあると言われ、何とかアブシンベルへの足も確保した。  

そうなるとついでだ、カイローアンマンのチケットも買ってしまえというわけで、出発時刻を確認した上で、料金(278ポンド)を聞き、ホテルに戻りプランを練り直してカイロ出発の日を決めて、三たびエジプト航空へ足を運んだ。

すぐに席は確保できたが、なぜか料金がさっきの話より89ポンドも高い。しかし、コンピューターに入っている料金だし…と思って、言われたままの金額で航空券を発券してもらった。 


 (3月11日)
ナイルの真ん中にはエレファンティネ島という島があって、ここにもちょっとした遺跡がある。当然船に乗って行かなければならないのだが、ルクソールのようなフェリー乗り場のようなものは見当たらない。

この街はフルーカという観光帆船が有名で、河岸に降りてエレファンティネ島に行く船はないかと尋ねると、これが観光フルーカの船主で「俺のフルーカで行こう」と言われる。しかし、地元の人の足になっている渡し船のようなものが必ずあるはずだ。何人かに尋ねるうちに横で見ていた親切なエジプシャンに教えてもらい、なんとか渡し船乗り場を見つけることができた。動力船とばかり思い込んで探していたのだが、渡し船もまたフルーカで、ほとんど音もたてずに静かに島に向かって行く。降りる時に25ピアストルを払い上陸。博物館と遺跡とナイルメーターを見ておしまい。ナイルメーターは、川へ下りていく階段のようなもので、そこの壁に目盛りがほどこされてナイルの水位がわかるようになっており、また、過去の増水時の水位なども示されている。

ところで、ナイルメーターで警備員らしいおじさんに(わけのわからぬ)説明をされ、バクシーシ(チップ)を払う羽目になった。エジプト4日目の自分には、どうもまだこのバクシーシに慣れることもできないし、これを避ける術も身についていない。たいした説明を受けたわけでもないのに、何も払わずに逃げることもできず、1ポンドを渡す結果となった。


フルーカ
エレファンティネ島行き乗り合いフルーカ。

 
ナイルメーター
ナイルメーター(ナイル川の水位を測る施設)。


ナイルメーター
ナイルメーター。階段を下って行くと、こんな目盛がある。もう少し下の方にナイル川の水の取り込み口のようなものがある。


アスワン
エレファンティネ島から見たアスワンの街。


午後はまったく暇になった。ホテルのフロントはアスワンハイダム観光を勧めるが、これも断って部屋のバルコニーでボーッとすることにした。ルクソールで頑張り過ぎたせいだろうか、少し疲れを感じた。
持参のヒーターで湯を沸かして、日本茶を飲みながらナイルの流れを眺めた。


 (3月12日)
緩やかな日程が続く。今日の観光は大小のアブシンベル神殿だけだ。

8時過ぎ、ホテルを出て、タクシーでアスワン空港に向かった。
空港は団体客でごった返していて、もちろん日本人の団体もいた。同じ便に乗った乗客もほとんど団体客だった。1日に何便飛んでいるのかはわからないが、この大勢の観光客をさばくために、ピストン輸送をしているという感じだ。

10時少し前、観光客で満席となった飛行機は飛び立ち、水平飛行に移るまもなく高度を下げ始めた。眼下にはナセル湖が広がっている。そして10時半ころ、アブシンベル空港到着。
アブシンベル空港から遺跡までは無料バスが連絡している。帰りの便のチェックインを済ませてからバスに乗ると、ものの10分もしないうちに遺跡の入口に着いた。いよいよアブシンベルの大遺跡だ。

アブシンベル神殿は、ヌビア地方まで支配下においたラムセス2世が、ヌビア人や近隣諸国にエジプトの強大さを誇示するために建造したと考えられている巨大建造物群の一つである。
この貴重な遺跡が、1960年から始まったアスワンハイダムの建設でナセル湖に沈んでしまうということで、ユネスコによる遺跡救済事業が実施された。大小の神殿はブロックに切り分けられ、もとの場所から64メートル上へ引き上げられたそうだが、離れて見ると、建造された当時からここにあったとしか思われぬくらいうまく組み立ててある。

それにしても、大神殿の入口の左右に2体ずつ彫られているラムセス2世像は大きい。高さは20メートルもあるといことだ。ルクソールからそうなのだが、僕は、単純に大きいことで感動している。大きければいいというものではないが、大きいことと古いということが、僕にとって遺跡の価値をはかる重要な要素なのだ。現代人が見てもびっくりするのだから、これを見た古代人は、やはり王の権力の強大さを強く感じたのだろう。


アブシンベル神殿
アブシンベル大神殿。


 アブシンベル大神殿内部

 
アブシンベル小神殿(手前)


2時ころ、アスワンの街に戻った。
何もすることがないし、少し熱っぽいので、この午後もホテルでナイルの流れをみながらの休息となった。

4時半頃、バルコニーからT君の姿を見かけた。カイロでは「また会いましょう」などといって別れたが、まさか会えるとは思っていなかった。急いで外へ出て彼の後を追い、メインロードから階段を降りたナイルの川岸のベンチに腰掛けていたT君に声をかけた。 「やっぱり会いましたね」とT君。

T君はカイロに3日間いて、その後「電車」でアスワンに来たという。彼も汽車のことを電車とよぶ都会人である。ちなみにアスワンへの列車はディーゼル機関車がひっぱていた(と思う)。

夕食のあと、T君の買い物に付き合った。

一軒のアクセサリー屋でT君が気に入った物を見付けて、店主にいくらだと聞くと「40」と言う。T君が「20」と言うと、向こうは当然「ノー」という。そこで、向こうの言い値で買わないのは言うまでもない。T君は「グッバイ」という。ここで向こうに値引きする気があれば食いついてくるはずだ。案の定、店主は「ちょっと待て」と言ってきた。「30でいい」という。T君は「ノー20」だと頑張る。店主も「30」で粘る。そこで、T君は、また「グッバイ」と言って、今度は本当に店を出ようとする。そうすると25まで下がった。これを繰り返しているうちに、店主は悲しげな顔をして、「20でいい」と言って品物を包み始めた。しかし、悲しげな顔は芝居に違いない。内心は「思った通りの値段で売れた」とほくそえんでいるのだろう。もしかするとこの店主、観光客は言い値の半分位から交渉してくるから、そのつもりで「40」と言って、T君に「20」と言わせたのか? この手の土産物屋の店主はそれくらいしたたかだと思う。

この後、お互いの住所を交換して別れたが、別れ際に、3年前の中国で、皆で撮った写真を送ってもらっていなかったことを伝えると、写真を撮った彼の友人に確かに伝えてくれるとのことだった(帰国後写真が送られて来た)。

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