灼熱のトルファン・清涼の天池
 

さて、ウルムチの中国国際旅行社(当時外国人相手のチケット手配などはこの会社がほぼ一手に引き受けていた)でウルムチから酒泉までの列車の寝台車のチケットを予約したのだが、ウルムチ出発までは、まだ5日ある。そこで、ウルムチの近辺のの観光地を巡った。

まず、列車でトルファンへ向かった。M先生達と一緒である。14時16分発、成都・蘭州行き直快列車は定刻通り発車。トルファンまで、3時間強の旅だったが、この区間は乗客もそれほど多くなく、ゆったりと移動できた。

17時34分、定刻通りトルファン到着。これから行くトルファンオアシスは、ここの駅からバスで1時間とかなり離れている(ということでウルムチ-トルファンはバスでの移動の方が便利)。



写真からは伝わってこないと思うが、猛烈な暑さだった。地面から伝わる熱は靴底が溶けるんじゃないかと思うほど。


駅から徒歩で5分ほどのバス駅に着くと、トルファンの街に行くバスは、すでにたくさんの客を乗せて発車を待っていた。その中には数人の日本人旅行者もいた。

しかし、バスはなかなか発車せず、僕らが乗ってから30分ほどたってから、超満員の客を乗せて発車し、少しすると荒涼とした砂漠(というか土漠)のど真中に出た。窓からは熱風が吹き込んでくるし道はガタガタだ。一面に水の流れたあとが広がっており、洪水で道がボロボロになってしまったのかもしれない。

トルファン駅を出て、1時間半、トルファンオアシスに到着。当時、この街唯一の外国人が泊れるホテルだったトルファン賓館へ行くと、さっきのバスの中の日本人が三輪の乗合タクシーで到着しており、チェックインの手続きをすると、僕ら3人とその6人で一部屋をあてがわれた。一応クーラーが付いていたが、ほとんどきいている感じはない。部屋の中は、常軌を逸した暑さであった。

部屋に荷物を置くと、すぐにバザールへ食事に出た。うどんのような麺に羊肉・ピーマンなどを炒めたものにトマトで味付けしたソースをかけたもの(ラグ麺)を食べる。ウイグルの旅では定番の料理だ。これまで腹具合がよくなかったものだから食べていなかったが、これが旨かった。喉をスイスイと通り抜けドンドン腹の中に入っていった。そして、バザールを出る前には、水がわりのハミウリとスイカを買った。トルファンでは、とにかくハミウリ、スイカをよく食べた。

賓館に戻ると早速、翌日のトルファン郊外一日ツアーのためバスをチャーターして、フロントの壁にメンバー募集の張り紙をした。参加者が多くなると一人当たりの負担が少なくなる。

翌朝の10時、我々日本人9名に、スペイン人5名を加え、トルファン郊外へのツアーに出発。車はエアコン付きの日本製マイクロバスだった。

しばらく行くと、まっすぐな何もない道で止まった。ガイドは「火焔山だ」と言っているらしい。『西遊記』にも登場する山だが、中国の乾燥地帯ならばどこにでもありそうな低い山並である。外に出るが、気温が相当上がっているようで、長時間外にいるのが苦痛だ。写真を撮り、早々にバスにかけこむ。



「火焔山」


火焔山に続いて、ベゼグリク千仏洞という6世紀から14世紀にかけて開かれていた石窟寺院へ行った。偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって仏像や壁画は破壊され、往時の華やかさはわずかにうかがわれる程度である。僕には石窟寺院よりも、下を流れる川と、その横につながる緑が印象的だった。水気のないところで、こういう景色に出会うと実にホっとする。   


ベゼグリク千仏洞の駐車場前だったか? それともその前に寄った場所か? 記憶が定かではない。



ベゼグリク千仏洞。



緑にホッとする。


さらに、玄奬三蔵がインドへ行く途中立ち寄った高昌国の故城、高昌国の貴族の墓が並び、ミイラがみられることで有名なアスターナ古墳群へ。


高昌国故城。



高昌国故城。


ツアー前半はアスターナ古墳群で終わり。一番暑い時間帯は休憩である(賓館のロビーにはその日の気温が掲示されてたが、ちなみにこの日の最高気温は44度)。いったんホテルへ戻り、後半の出発は5時半となる。   

午後は、蘇公塔という18世紀に建てられた日干し煉瓦でできたイスラム寺院を振り出しに、観光ブドウ園、カレーズ、交河故城とめぐっていった。



蘇公塔。



何棟か見える四角い建物はトルファンの特産であるブドウの倉庫。土(日干し煉瓦?)で作られており、壁は格子状で空気が通り抜けるようになっており、中にブドウを入れておくと、自然と干しブドウになるという仕組らしい。





カレーズ見学。トルファンには、竪穴を掘り、その底を横につないだ地下水道が網の目のように走っているが、これがカレーズで、天山の雪解け水をこの地下水道を使ってオアシスまでひいて、飲料水や農業用水としている。



交河故城。二本の川にはさまれた台地に築かれており、河が交わるところにあるということで交河故城というらしい。漢代にはトルファンの中心地として栄えていたという。ところで、カレーズを後にするころから急激に曇ってきて、交河故城に着いたころには猛烈な風が吹き、写真のように砂塵にけぶった状態。トルファンは「風庫」とも呼ばれ、中国で最も風の強い地域の一つらしいが、「風庫」の本領発揮は別のときにお願いしたかった。



ちょっとの間、風が弱まった。



トルファン2日目の朝、午前6時、まだまっ暗だ。僕はとっくの昔に目が覚めているというか、暑さのため眠れなかったが(前夜、洗濯したジーンズがすっかり乾くほどの暑さと乾燥)、皆もゴソゴソし始めたので、起き出して出発準備にとりかかる。

7時、まだ暗いが出発。バスの混雑状況がわからないので、早目の行動をとることにしたのである。ようやく白み始めた街の歩道では、トルファンの人達が毛布にくるまって寝ていた。寝苦しくて外で寝るようだ。

7時半、バス駅に着く。僕らは、9時のバスに乗りたいのだが、切符売場はまだ開いておらず、その前はすごい人だかりだ。こりゃあだめだと思った。

切符を売り出すと売場はひどいパニックになった。割り込みする連中が多く、どれがもとの列なのかはっきりしない。結局、僕らは、10時のも11時のも買えずに、12時のバスに乗ることになった(1995年にトルファンを再訪した際には、バスの便が増えたのに加えて、大型バスのほかミニバスなどもたくさん走っており、このような混乱はなかった)。

バスの出発は遅れた。1時少し前、ようやく僕らの乗るバスの改札が始まった。改札といっても改札口があるわけではない。バスの入口に殺到する客の乗車券に書いてある番号を確かめて、番号順に乗車させるのだ。

大混乱のうちに何とか乗車してしばらくすると、バスはウルムチに向かって爆走した。オンボロでいつエンジンが止まっても不思議はないようなバスだが、熱風の中を突っ走る。



座席は3列2列でかつ各席の幅、席間も狭い。とにかく沢山詰め込むことを最優先した作りになっていた。当時の中国では一般的なもの。大きな荷物は屋根の上というのが基本。



途中、北京方向に走る列車とすれ違った。


やがて、天山の切れはしを越えて、緑のある地帯に入って行った。ウルムチだ。

ウルムチの夜はトルファンに比べると格段に涼しく、すぐに深い眠りに落ちた。

翌朝、予定通り天地一日ツアーに出発(依然M先生たちと一緒)。天池は、天山の主峰、ボゴタ峰山麓…とはいっても標高2000メートルにある湖で、ウルムチの北の方に位置するウルムチ近郊随一の景勝地と言われている。

天池はラッシュ状態だった。ウルムチの人たちが大挙して行楽に来るのだ。しかし、湖の回りには針葉樹林が広がっており、対岸のさらに奥には雪を頂いた天山が見える。空気も清々しくトルファンとは別世界である。



天池。「スイスです」と言われたら、そうかと思ってしまいそうな景色。


さて、天池に無事着くことは出来たが、僕には一つ困ったことがあった。というのは、その日のうちに、ウルムチに帰らなければならないのに、僕のバスの切符は翌日のものだったのだ。往復買わなければいけないというので仕方なくその切符を買ったのだが、何とかなるだろうと出てきてしまった。

同じバスに乗っていた香港人男性が「自分も今日の切符を持っていないが、ウルムチに戻るから何とかしよう」ということで、帰りのバスが出る少し前の3時50分、同じくその日の内に帰らなければならないという日本人女子大生1人を加えた3人で、同じ場所で落ちあおうということになった。

天池湖畔からは、カザフ族の観光ガイドのおじさんに案内されて対岸へ向かった。
2時20分ころ、パオの並ぶ、ボゴタ峰観光の拠点に到着し、お茶を一服御馳走になる。他の皆はパオで一泊するのだが僕は帰らなければならない。M先生たちともお別れだ。



ガイドのおじさんと記念撮影。わずか10分の滞在後、大急ぎでバス乗り場へ向かった。


時計を何度も見ながら、険しい登り下りを急ぎに急ぎ、朝の香港人と待合わせをした駐車場に着いたのが、3時40分。なんとか間に合った。しかし、香港人男性だけがバスに乗ることができ、僕らは後に取り残された。

他のバスを見るが、皆、席が全部ふさがっている。座席以外にも乗せてくれるだろうと思い、一台のバスに聞いてみるが駄目だという。もう一台にアタック。一生懸命今日じゅうに帰らなければならないと説明しようとするがうまくいかない。「ミィエンテン(明天)」とか言っているから、明日のに乗れと言っているのだろう。しかし、幸い彼女が翌日のウルムチ-北京の航空券を持っていた。僕はそれを借りて、側にいた中国人に見せた。そうすると、ことの次第を了解したらしく、バスの乗務員に話をしてくれ、なんとか乗ることができた。席はバスの入口のステップである。しかし、運賃はしっかり全額取られた。



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