チャイニーズ・フィッシング・ネットと夕日


アレッピーからコーチンへのバスは、ウイークデイのこの日も満員だった、かなりの頻度で走っているのにもかかわらず。昨日の混雑の原因は休日という理由だけではないようだ。結局、9時過ぎにバスに乗り込み、10時40分ころコーチンの市街地に入っていくあたりまで、座れなかった。

5年前よりもアレッピーの街の賑わいは増したみたいだし、ここのところのインド経済の発展は、確実にインド南部にまで及び、人や物の移動が格段に増したのかもしれない。



アレッピーからコーチンのエルナクラムへ向かうバスの車中。運賃は37ルピーで、なぜか昨日のエルナクラム-アレッピーよりも2ルピー安い。いったいどういうシステムなんだ。車掌の気分が運賃に影響を与えるのか?


コーチンは勝手しったる街である。エルナクラムのバススタンドに着く前、市街地でバスを降り、メイン・ジェッティへ向かう(船乗り場をジェッティという)。めざすはフォート・コーチン。5年前はエルナクラム側に泊ったので、今回は別の場所でというわけである。

フォート・コーチンへの船も混雑していた。5年前には空席がたくさんあったのだが、今回はほぼ満席。さっきの人や物の移動が急激に増えているという推測はあたっているのかもしれない。

フォート・コーチンのジェッティにほど近いホテルにチェックインすると、すぐに昼食がてら街歩きに出た。ここで、また変化に驚く。オートリクシャーの客引きがけっこういるではないか。5年前にはうらぶれた感じだったフォート・コーチンからダッチパレスやシナゴーグのあるマッタンチェリーまでの道沿いには、お土産屋までできており、観光化が相当進んでいた。かわらないのは野良ヤギだけ。



シナゴーグへ続く道。



ダッチ・パレス。ポルトガル統治の時代、コーチンの藩王のために建てられ、マッタンチェリー・パレスと呼ばれていたものが、オランダ統治の時代に総督邸となってダッチ・パレスと呼ばれるようになった。



ダッチ・パレスからシナゴーグを望む(背の高い建物はシナゴーグの鐘楼)。手前の3輪車は案内した観光客を待つオートリクシャー。


いったんホテルに戻って一休みしたが、ここで停電。経済が発展するなかで、国民の生活レベルが向上し、観光客も増えて電力需要が増加する一方、供給が追いつかないのだろう。そのうち人口が中国を抜くだろうといわれる暑い国インドで、人々が皆エアコンを使い始めたら、どれだけの電力が必要となるのだろうか。発電はやはり原子力発電所に頼らざるを得ないのだろうか?


5時半ころ外出。せっかくフォート・コーチンまで来たからには、夕日をバックにしたチャイニーズ・フィッシング・ネットを見ておきたい。



チャイニーズ・フィッシング・ネット。観光資源として活用されているのだと思うが、一応、漁をするための網としても稼動していた。写真の一番手前の網は上がっていくところ。


ところで、5年前からの変化についてしつこく書いているが、このチャイニーズ・フィッシング・ネットのあたりも、欧米の観光客がわんさかと訪れており、随分と様子が変わっていた。そして、たくさんの欧米人観光客を収容するべく、フォート・コーチンにたくさんできていたのには、もっと驚いた。




翌朝はフォート・コーチンを散歩してからエルナクラムを歩きに。


フォート・コーチンの朝。



ヴァスコ・ダ・ガマの墓がある聖フランシス教会(フォート・コーチン)。



エルナクラムにある市場へ行ってみた。







画面が真っ青。「何とかならんか、ブルーシート」という感じ。



フォート・コーチンに戻る船中。



フォート・コーチンの路地。



back 海外旅行記index top next  

home