炎熱地獄のなかのバス三連泊(イスファハン-クエッタ)

<8月21日続き>
決められたチェックアウト時刻は14時。バスは19時発。5時間もある。荷物を預けてもうひと観光する、余計に金を払って部屋で休む、かなり時間があるがバスターミナルに行き、そこの待合室で時間をつぶす、という三つの選択肢があるが、これから先夜行バスの連続になりそうで体力の温存を第一に考えなければならないので一つ目の選択肢は検討するまでもなく消去。次の二つは迷うところだが、旅のペースがつかめてきて時間つぶしが苦にならなくなってきている。2~3時間のために余計な金を使うのも惜しい。ということで、三つ目のバスターミナルで時間をつぶすというのを選択。

乗り合いタクシーでバスターミナルに向かう。バスターミナル方向に走るタクシーらしき車(この国では車の上にのっかているべき「タクシー」の表示がほとんどないのだ)に向かって手をあげて声をかけるが、3台目まではどうやらターミナル行きではないようだった。そうすると、どこからともなく車が近寄ってきて、「どこに行くのか」と英語で声をかけてきた。これは完全に白タクだろうが、昨日のタクシーと同じ料金ならば乗ろう思い、「いくらだ」ときくと、「1万」と言う。「5000」ならば乗るが、というとすぐにそこまで下がった。運転手の話によると、彼の本職はパン屋で、ターミナルに行く途中、「あれが俺の店だ」と指をさして「夜のバスならばうちに寄って休んでいかないか」と言う。純粋なホスピタリティーからの誘いなのかもしれないが、「バスターミナルまで1万」とふっかけてきた男でもある。やや信用がならない。「ターミナルで時間をつぶすからいい」と言って、ターミナルまで走ってもらった。

14時半少し前にターミナルに到着。外よりはましだが、ターミナルの建物の中もけっこう暑い。つらい時間つぶしになりそうだと思ったが、1時間が日本にいる時の30分位の感覚になっているので暑いのをのぞけばたいした苦痛ではない。
 
15時半を回ったところで、カフェに行き紅茶を頼んだ。500リアルでなぜか2杯くれた。1杯につき角砂糖が4個入ったビニールの袋を1つくれた。イラン人にならい角砂糖をかじりながら紅茶をすする。角砂糖は合計で8個だから相当な量だ。日本にいる時は一杯2個が限度だろうが、貴重なカロリー源だし、中東方面では紅茶に限らず甘いものは思いっきり甘くして食べるので、僕の舌も紅茶が甘くないとなんだかものたりなく感じるようになっている。

紅茶2杯で1時間半ほど時間をつぶしターミナルのロビーに戻ると、今度はこれからテヘランに行くというカーペット屋で働く少年に声を掛けられ、オレンジジュースまでおごってもらった。なんだかんだで時間がどんどんすぎていく。彼とターミナル内の売店をのぞいて歩くうちに、ペットボトルに入ったミネラルウォーターをみつけたので早速購入した。バスの中で飲む水が確保できて一安心である。値段は、1.5リットルで1500リアル(60円)。トルコよりやや安いといったところだ。
 
19時15分、15分の遅れでケルマン行きが出発したが、30分近く走ってから、またイスファハン方面へ戻りだした。何かトラブルでもあったのかと心配していたが、市街地に入る前で道をかえたようで、またヤーズド方面を示す道標のある道に戻った。途中、バスは氷屋で氷を買い込んだが、どうやら、乗客にサービスされる飲み水はこれが溶けたやつらしい。むろん僕はミネラルウォーターを飲む。

バスの中で英語を少ししゃべる青年に話しかけられた。彼の質問は例によって、国は? 都市は? 年齢は? 結婚は? 収入は? というものだった。どこまで行くのかと聞くのでケルマンだと答えると、「ヤーズドの私の家に寄って行け」と言う。「時間がないから」と断って、彼も了解したと思っていた。

1時半頃ヤーズドらしきところに到着したが、僕は目は開けずにいた。すると、「カム・ウイズ・ミー」と話しかける声が聞こえる。目をあけるとさっきの彼だ。「先を急いでいるからケルマンまで行く」と言ったではないか? ビザの有効期限の問題もあるし、旅程を計算してみると、トルコで5日間もビザ待ちしたせいで、これから先の日程がきつくなりそうだ。ここで時間を使うわけにはいかない。「残念だけど、やっぱりケルマンまで急がなくてはならない」とあらためて断った。彼は、それ以上しつこく誘うことはなく、「自分の話の相手をしてくれてありがとう」と言ってバスを降りていった。


<8月22日>
6時10分、ケルマンのターミナルに着いた。ここはターミナルとはいっても、大きな建物はなく、バス会社がかたまってあるというターミナルだった。すぐにターミナル横のホテルに部屋をとった。部屋に洗面所があるだけのアウトバスのツインルームで、ここも4万リアル。

大きな荷物を部屋に置いて、ナンバー1バスのカウンターへいって、夜9時のザヘダン行きのチケットを買った。朝ザヘダンについたらそのまま国境越えをしてしまおうという考えである。パキスタンに入国後、18時間くらいの長距離バスに乗らなければならないので、今回の旅程で一番きついところである。ザヘダン1泊も考えないわけではないが、『ロンリープラネット』によると、ザヘダンに泊る場合は必ず警察へ出向き登録をしなければならないとあり面倒臭い。それと、今後の旅程を考えるならば1日も早くパキスタンのクエッタにたどり着く方がよさそうだ。

8時頃朝食を取り、11時頃まで寝た。夜移動して昼間寝る。「この旅はいったい何なんだ」という感じになってきたが、今回のメインテーマは、テヘランからギルギットまでを陸路移動することだから、これはこれで仕方がない。

ちょっとはケルマンの街でも見ておこうかと思いホテルの外に出てみたが暑い。ケルマンにも奇麗なモスクがあるらしいが、暑い中わざわざ行っても、イスファハンを見てしまっているから、がっかりするだけだろうと、見物したいという気持ちを抑えた。体力の温存が第一である。
 
しかし、昼食をとってシャワーを浴びたらもう何もすることがなく、ものすごい退屈感に襲われた。最近の旅ではヘッドフォンステレオも持って来ていないから、ボーッとしているよりほかない。部屋を飛ぶ蠅を何気なく見ていて、その運動能力のすごさに気がついた。あの方向転換能力はUFOなみじゃないか。

20時少し前にチェックアウトして、バス会社の待合室でバスの出発を待った。

この日のバスは定刻の21時に出発。

 『ロンリープラネット』には、ザヘダンまでは8時間位とあるが、国境に近付いていくからなのだろうか、やたらと検問が多い。そのたびに運転手がバスから降りて何か手続きをする。




ケルマンのホテル。






ケルマンのバス会社のチケットカウンター。



<8月23日>
9時間かかって6時頃、まだ夜が明けきらないザヘダンに到着。国境近くの街だし、ボーダーまでのタクシーの客引きが寄って来るのを期待したが全然なし。

少し困った。とにかく、ここからパキスタン方面への移動についての情報が何もないのだ。仕方がないので、近くのホテルでボーダーまでの行き方を尋ねることにした。

少し歩くとアブドラーホテルというホテルがあった。ガラス張りのドアをチョンチョンとたたくと、レセプションにいる少々くたびれた感じの、しかし長身で体格のよいおじさんが鍵を開けてくれた。幸いにして英語が通じて、「パキスタンに行きたいのですが」と言うと、「車を呼んでやるから座って待っていて」と言う。そして、おじさんはどこかに電話をかけてくれた。たぶんタクシー会社にだろう。狭いレセプションの薄汚れたソファーにすわって、ビスケットをかじりながら車が来るのを待った。

1時間くらいたっても車は来ない。本当に車を呼んでくれたのだろうか。そのうち、宿泊客がちらほらと2階からロビーに降りてきた。4~5人みかけたが、どうやら皆イラン人らしい。

8時少し前、車がやって来た。乗用車タイプではなく、後ろに荷台のある小型車だ。運転手は「ボーダーに行きたいのか」と言う。「そうだ」と答える。「いくらだ」と聞くと「1人の金額は客の人数による」という。どうやらたくさん集まれば荷台に乗せるようだ。「もしほかに客がいなかったら?」「6万リアル(約2500円)」けっこう高いが、リアルはまだ大量に残っているし、とにかく国境に行かなければ話にならない。

8時少し過ぎに出発。ほかの客を捜しているのだろうか、ホテルらしきところに一応寄ったが結局客は僕1人。

街から少し離れた砂漠の真ん中のガソリンスタンドで給油してから、車は猛烈なスピードでボーダーに向かった。スピードメーターは100キロを超えている。しかし、道はこんな辺境にこんなりっぱなものが必要なのかというぐらい奇麗に整備されているので快適なドライブだった。

9時15分、車が止まり「ここからは歩いて行け」と言う。このおじさんの車は、国境のエリアには入れないらしい。税関や出国審査の建物は随分離れたところにある。建物が色々と点在していて、どれが出国審査を受けるところかわからないので、一々立ち寄りながら歩いていく。日差しを遮るものが何もない中、15分くらい歩いただろうか。建物の密度が濃いところに着いた。どうやら、税関・イミグレらしい。税関はノーチェックで通過。前年のトルコ国境とはおお違いだ。出国審査もあっさり終わった。
 
パキスタン側では狭い部屋に通され、滞在予定などを尋ねられた。係官が分厚い横長のノートに必要事項を書き込み入国スタンプをくれた。税関は別棟にあったが、そこの係官にパスポートを提示すると、「あっ日本人? いらんいらん」という感じで、まったくのフリーパスだった。

税関の前ですぐに両替屋がやって来た。使い残しのリアル紙幣と、米ドルを少し変えた。「都市に出ると両替の率が非常に悪いから、ここで沢山替えた方がいい」と言うが、どうせ嘘だろう。1ドルあたり33ルピーだった。

パキスタン側に入るとすぐにバスの客引きがやって来た。「何時発だ」と聞くと、「11時だ」と答える。あと1時間位だ。料金は250ルピー。エアコンなしだ。何台か並んでいる他のバスもみなエアコンなしだし、すぐ出てくれるのならばこれで行こうということでチケットを買った。

出発を待っているうちにクエッタからのバスが到着した。2~3人の日本人の姿も見掛けた。こんな所に来るなんて、物好きな日本人は自分だけではなかった。パキスタン情報を聞きたいので声を掛けようかと思ったが、彼等も20時間近い移動で疲れているはずだ。なるべく早くザヘダンの街にたどりついて休みたいだろう。そう思い、声を掛けるのはやめにする。

11時半過ぎ、ようやくバスが出発準備らしきことを始めた。12時頃には出発できるだろう。それに、客も意外と少ないし、ゆったりと行けそうである。

しかし、いよいよ出発かという時になって、大勢のパキスタン人がどさどさとやってきて、僕の隣の窓側の席にも、年配のパキスタン人男性がすわった。バスの屋根に大量の荷物をあげているらしく出発は遅れそうである。別にここで1時間や2時間遅れてもどうということはないのだが、客の集まりの悪かった他のバスが先に出発して行くのを見るのは余り気分のいいものではない。

ようやく出発かと思うと、今度はそのパキスタン人の中の何人かのおばさんが、飲み水を入れて持ち歩く、ふたつきの大きなプスチック製のバケツを買ってきたのを見た他のおばさんたちが、どやどやとバスを降りだした。どうやら、そのバケツが安かったのだろう。みな同じバケツを買ってバスに乗り込んできたものだから、バスの通路はバケツで占領されてしまった。



上のバスはたぶん僕が乗ったバス。




けっこうたくさんのバスが停まっていた。



12時15分、やっと出発したかと思うと、今度は警察のチェック。これに1時間近くかかった。客の荷物を一応すべて見ているのだが、外からさわるだけ。時間をかけている割には取締りの効果は少ないように思われる。

エアコンがないのは承知の上乗ったのだが、これがきつかった。国境の暑さも相当のものだったが、1時間2時間と走るうちに、気温がどんどん上昇してきた。2時~3時といえば一番暑い時間帯だが、窓からの風が完全に熱風なのだ。風が直接顔にあたると吐き気をもよおすほどだ。温度計を持っていかなかったのが残念だが、『歩き方』には、夏のこの区間は50度を超えることもざらであると書いてある。確かに中国のトルファンで経験した暑さ以上のものを感じた。どうやら、このルートは一番暑い箇所を夜中から朝にかけて通過する逆コースを通るほうが賢明らしい。

そのうち、熱がたまったせいか頭痛がしてきた。熱中症一歩手前の状態だ。日が傾くまでの辛抱なのだろうが、暑さで頭が痛いなどというのは初めての経験ですごく不安だ。体温調節能力を超える暑さということなのだから。隣のおじさんは、盛んに「アッラー」の名を唱えている。暑さをこらえているのだろう。 

水が乏しいのも問題だった。国境で1.5リットルのミネラルウォーターを買ったのだが、となりのおじさんに半分くらいわけてあげた。バスは一応、水を積んでいるのだが、皆が飲むので、すぐに底をついてしまった。ところが、となりのおじさんの水のボトルには何も入っていなかったで、分けてあげるしかないと思ったのだ。

15分おきくらいに一口ずつ飲んで渇きを凌いだが、頭は相変わらず痛い。

バッグの中にウエットティッシュが入っているのを思い出した。試しに1枚引き出してみると、床屋の蒸しタオル状態だったが、次の瞬間急激に冷えるではないか。気化熱が奪われるためだ。焼け石に水かもしれないが、このウエットティッシュを額に付ければ、気化熱が奪われて、少しは頭を冷やすことができるだろう。

ウエットティッシュを15分に1枚くらい使ったおかげで、頭痛がひどさを増すことは何とか押しとどめることができた。

出発してから4時間くらいたったころ、ノーク・クンディで小休止。バスは飲み水を補給したが、きたない甕の汲みおきの水で、これを飲むのは危険だ。小さな店があるが、ミネラルウォーターはなく、ぬるいコーラで水分を補給。



ノーク・クンディ。



これもノーク・クンディだったか?



19時頃、また小休止。今度は、ミネラルウォーターがあった。食堂もあるが、持参のバランス栄養食をかじる。まだ10時間以上はバスに乗らなければならないはずだ。ここで腹をやられたらどうしようもないので慎重にならざるを得ない。



写真の感じ(道の伸びている方向の感じ)から見ると、これは19時頃の小休止の際撮ったものか?




たぶん「写真を撮ってくれ」と言われたのだと思う。




今来た方向を望む。



薄暮の中、バスは出発したが、あまり走らないうちに停車した。道路沿いの砂漠の中に、小さなモスクがある。イランからパキスタンに入るとどうやらモスクのデザインが変わるようで、装飾がけばけばしくなる。こんな辺鄙なところにあるモスクにもそれはよく現れていて、暗くてシルエットしかみえないが、建物の正面の上の方に、尖塔の代わりなのだろうか、玉葱を突き刺した剣のような形のものが何本も立っている。乗客は異教徒の僕を除いてほとんどが降りてお祈りをしている。

短いお祈りの時間を終えるとバスはまたのろのろと走り出した。イラン国境のクイ・タフタンからクエッタまでは約600キロあり、これを18時間かけて走ることになっているから、途中の休憩時間やらなにやらを計算しても、平均時速は30数キロというところか。したがって、順調に走っているときも、スピード感というものはほとんど感じられない。

暗くなって昼間の暑さからは逃れられたが、それでも涼しいというにはほど遠い。

何時ころだったろうか。バスの後方からガチャーンという音が聞こえて、女性達の悲鳴が起きた。男達は、大きな声を出してバスの壁をたたいて「止めろ」と叫んだ(のだろう)。バスは止まった。まさか子供が窓から落ちたのでは? こんなところで、とんでもないことになったのでは? しかし、幸い、窓ガラスが割れただけで、ガラスの破片を片付けて、バスは再び走り始めた。

それにしてもなぜ突然窓ガラスが割れるのか。おそらく、屋根に荷物を積み過ぎて、その重さが窓枠にかかっているからなのだろう。窓が恐ろしく重くて開け閉めにすごく力がいるのだ。ほかの窓もいつ割れてもおかしくない状況なのだと思う。僕の隣のおじさんは窓が割れてから、何か呪文のようなものを唱え始めた。おそらく神に旅の無事を祈っているのだろう。
 
バスでの車中泊は、これで3日連続なのだが、体の方はバスの狭いシートに座ったままで眠れるようになっていた。前のシートの背もたれに両手をかけて、その両手に頭を乗せて、うつらうつらとしているだけだったが、結構寝ていたようで、知らぬ間に時間がたっている。

深夜、バスのタイヤが空回りする音が聞こえた。目は開けず、視覚以外の感覚を半分覚醒させていると、砂にバスがうまりかかっているらしいことがわかった。だれかが降りて、必死にバスを走り易い方へ誘導している。うまりそうになって、運転手も必死でハンドルをきっているようで、バスは小さい径でくるぐる回っている。「頼むからスタックしないでくれ。降りて押すなんていう体力は残っていないんだから」

そんなことが二度ほどあったが、そのつどバスはピンチを脱出した。

そのうち、すっかり涼しくなった。そういえばクエッタは標高1670メートルに位置していて、朝晩は涼しいという。バスは随分と高度を上げたようだ。

そして、6時半頃、バスは比較的大きそうな街に入り止まった。隣のおじさんに聞くと、クエッタだという。クイ・タフタン出発から18時間、バスは順調に走っていたのである。



クエッタのメインストリート(だと思う)。




クエッタ。一つ前の写真に続きデコレートされたバスを撮ったのだが、窓から顔を出している人と後ろのドアのところの人がしっかりカメラ目線。