<目次>
 1.海のシルクロードの要地イエメンへ(このページ)
 2.サナア近郊
 3.砂漠の摩天楼の街シバームへ
 4.サユーン~アデン
 5.アデン~タイズ
 6.タイズ~ホデイダ
 7.ホデイダ~サナア
 8.ハッジャへの道

  海のシルクロードの要地イエメンへ

1996年3月、紀元前にシバの女王で有名なシバ王国があったところとして知られるとともに、古代からインドとヨーロッパ方面とを結ぶ海のシルクロードの要地として栄え、ヨーロッパの人々から「幸福のアラビア」と呼ばれたイエメンへ行くことにした。

18世紀以来、南北に分裂し、以後それぞれの歴史を展開したが、北イエメンは1969年まで王制が続き、南イエメンでは1967年にアラブ世界初の社会主義政権が誕生し、その後、ベルリンの壁が崩壊した1990年に南北の統一が達成された。統一後の94年に内戦が勃発したが、3ヶ月で終結し、安定期に入った頃の訪問となった。イエメンはその後、部族間の対立、イスラム過激派のテロなどにより不安定な状態が続いており、一番よい時期に訪問したのかもしれない。

3月2日16時、マニラ、バンコク経由のエジプト航空機で成田を出発、翌朝6時カイロ到着、12時過ぎ発のホデイダ経由サナア行きのイエメニア航空機に乗り継ぎ、17時ころサナアに到着した。

安定期に入ったとはいえ、イエメンは若干の混乱状態のようだった。今ひとつ情勢のわからない国なので、この地域を専門にしている旅行会社に、ホテルの予約と空港-ホテル間の送迎をお願いしたのだが、その会社とその会社が昔から使っている現地の旅行会社との連絡がつかず、結局、ホテルの予約なしでサナアの空港に降り立った。

しかし、空港前にはどこの国でも見られる客待ちのタクシーが並んでおり、かつ、法外な料金をふっかけてくるドライバーもおらず、なんの問題もなくサナアの市内に出ることができた。ホテルもめぼしをつけていたところにすんなりチェックインすることができた

3月4日、サナア観光の前にしておかなければならないことがあった。今回の旅行のサナアと並ぶメインの訪問地、砂漠の摩天楼として名高いシバーム観光の拠点サユーンへの航空券を手に入れなければならない。
 しかし、イエメニアへ行くと6日のサユーン行きはすでに満席とのこと。例によってあまり長期の旅行ではないので、飛行機のチケットが手に入るかどうかが非常に大きな問題なのだが、旅程を再考慮することにして、サナア旧市街の観光に出た。


旧市街のイエメン門(バーバルヤマン)。



旧市街に入っていくと青空市場があった。



ずーっと人並みが続く。



イエメン門(バーバルヤマン)の前のホテルの屋上からの眺め。伝統的な建築が立ち並ぶ。こんな光景、他では見られない。



上の写真と同じホテルの屋上から。それにしても、なぜこんなに人出が多いのだろう。この日は平日なのだけれど。


昼前、再びイエメニアへ行ったが、今度はコンピュータが停止状態。

昼食後、ホテルに戻り絵葉書を数枚書く。イエメンからの絵葉書などそうそうもらえるものではないだろうから、喜んでもらえるのでは(?)と思いつつ書く。もちろん自分宛にも一枚。

3時過ぎ、三たびイエメニアへ。とりあえず、サナア-カイロの便のリコンファームをしてもらい、ダメもとで、6日のサユーン行きについて尋ねてみた。すると「今日の6時にもう一度来い」と言うではないか。これでチケットを確保できると確定したわけではないのだが、可能性はあるということである。聞いてみてよかった。
18時少し前、いさんで四たびイエメニアのドアを通った。ところが、「18時半にもう一度来い」と言われる。
さっと夕食を済ませ、18時半、この日5度目のイエメニア。結局、6日のサユーン行きのチケット確保に成功。これで明日は心置きなく、サナア近郊の観光に出かけられる。さっそくホテルのフロントで明日の車のチャーターを申し込んだ。ワッディ・ダハール、スーラ、シバーム、コーカバンをまわって100ドル。