<目次>
 1.タシケントとサマルカンド(このページ)
 2.タシケント発ウルムチ行きの列車なく、アルマトゥからウルムチへ
 3.ウルムチ-敦煌-北京
 

  タシケントとサマルカンド(ウズベキスタン)


ソビエト連邦が消滅して(1991.12)から、まだあまりたたない1993年、旧ソ連のウズベキスタンへ行くことにした。目的は、鉄道でタシケントから中国のウルムチまで鉄道で移動すること。中国の鉄道の時刻表が東京神保町の中国書籍専門店で手に入ったので、それで調べたところ、タシケント-ウルムチ間の列車は確かに運行されているようだったのだ。

ソ連邦が消滅した後も、旧ソ連の旅行システムは以前のままで、基本的にはインツーリストというロシアの旅行会社を通じて、全旅程のホテル・乗り物などの予約を行い、バウチャーを発行してもらったうえで、ビザをとるというものだった。こういったことは個人では難しいので、ソ連(ロシア)ツアーを扱っている旅行会社に手配を依頼した。予約もスムーズでビザも問題なく発行された。ウズベキスタン、カザフスタンは独立国とはなっていたが、ビザはロシアのビザでよいということで、入手したビザはロシアのものだけ。

8月16日、アエロフロートでモスクワへ。現地時間の午後6時少し前にモスクワ・シェレメチボ空港到着。ここから別の空港(このへんメモがなく名前はわかりません)へ移動しなけれならなかった。

予約してある車に乗ろうと、空港のインツーリストの窓口でバウチャーを提示すると、しばらく待っていろという。しかし、このしばらくが長かった。タシケント行きの便の出発時刻は午前2時半ころなので時間はたっぷりあるのだが。。。 待つこと3時間、やっと車に案内され、シェレメチボ国際空港を後にした。

空港間の移動には約1時間を要した。車は猛スピードで突っ走っていたので、かなりの距離があると思われた。空港ビル内はとても暗く、ひどくうらぶれた感じ。空港内のいろいろな表示を見ると国内線専用のターミナルのように見えた。ソ連邦が消滅して1年半以上たったものの、ウズベキスタンの首都タシケントへのアエロフロート便は依然として国内線扱いというわけなのだろうか。しかし、一応、国際線のターミナルがあり、バスでターミナル間の移動をした(と当時のメモには書いてある)。なぜインツーリストの車が国際線のターミナルまで行ってくれなかったのか謎だ(空港に関するもっと詳しいメモをとっておけばと悔やまれる)。

2時40分にモスクワを出発した飛行機は、6時過ぎにタシケントに到着。空港からの市内への送迎はつけなかったので、地元のバスで市内へ向かった。

今日のホテルはホテル・ウズベキスタンという巨大ホテル。しかし、チェックインの際に一つ問題が発生した。パスポートを見たレセプションの人が「ビザがないですよ」と言う。ビザはロシアのビザで代用できるはずだがというと、「規則が変わった」という。

しかし、ビザが必要ならば入国審査で止められるはずだがあっさり通過できた。お金はロシアのルーブルだし、独立したといってもソ連邦の時と何もかわってはいないという感じだった。まあ、独立国となったわけだし、独自のビザを発行するようになっても不思議はない。どこでビザが取れるのか尋ねると空港だという。そして「別に今日でなくてもよい」という。まったくいいかげんな「独自のビザ」である(当然のことながらこれを書いている2003年にはビザが必要)。




ホテル・ウズベキスタン。




タシケント旧市街にあるメドレッセ。




上のメドレッセあたり。




タシケント旧市街で出会った子供たち。



8月18日、インツーリストで予約しておいた車でサマルカンドへ向かった。目的はタシケントから中国へ行くことにあるが、せっかくだから、サマルカンドくらいは行っておこうというわけだ。まず、空港に寄ってビザを取得して、それからサマルカンドへ向かった。10時頃空港を出て、午後2時にはサマルカンドホテルに着いた。ビザもあるしチェックインはスムーズにいった。しかし、ここで問題がおこった。次の旅程、つまりサマルカンド-タシケントの鉄道のチケットを受け取ろうとすると、「とっていない」というのだ。「列車が運行されていないのか」と聞くと、答えは「列車はあるけれど、あまりに汚いから」ということだった。もう、何だかわからん。

「バスのチケットは用意できるのか」と聞くと「自分で買いに行け」とおっしゃる。仕方がないので、バスステーションへ行ってチケット購入。ロシア語はまったくわからないし、バスステーションにはキリル文字の表示しかない。しかし、紙に日付と行き先を書いて見せればよいので、それほど問題はなかった。ただ、これで随分無駄な時間を使ってしまった。サマルカンドは1泊しかしないことになっているので、急いで街へ出た。



レギスタン広場方面へ向かった歩いていく。走っている車が時代を感じさせる。




青の都と呼ばれるサマルカンドの観光のハイライト、レギスタン広場。シルクロードの中心都市として紀元前の昔から繁栄したサマルカンドは、13世期前半、モンゴルの攻撃で壊滅的な打撃を受けた。その打撃から復興させたのがティムール。向かって左側の建物はウルグべク・メドレセ(1620年ティムールの孫ウルグベクによって建設)。中央はティラカリ・メドレセ(1660年建設)。右はシェルドル・メドレセ(1636年建設)。




シェルドル・メドレセ。イスラム教では偶像を禁止しているのにもかかわらず、門の上の方に人の顔が描かれている。




シェルドル・メドレセの門の上部。




ティラカリ・メドレセか?




ティラカリ・メドレセの中庭からの写真だと思う。




どのメドレセか不明。




レギスタン広場の近くにあった建物。タキという商店街(バザール)だったところか?。




歩道橋の上からビビハニム・モスク方向を見る。ビビハニム・モスクは1399年ティムールが建設に着手、1404年に完成。しかし、巨大すぎたこともあって、すぐに崩壊してしまったという。1970年代に始められた修復作業はこの時も進められていたが、1999年の夏に再訪した際にはかなり見られる状態になっていた。




シャーヒ・ズィンダ廟の門。中にはティムールゆかりの人々の霊廟が並ぶ。




シャーヒ・ズィンダ廟。通りの両側にティムールゆかりの人々の霊廟が並ぶ。この時はかなり傷んでいたが、現在は修復されて綺麗になっているらしい。




シャーヒ・ズィンダ廟。




タシュケント通り(だったと思う)。




グリ・アミール廟。ティムールと彼の息子たちの眠る廟。1999年に再訪したときには大きく変わっていた(いずれアップします)。




サマルカンドホテルからレギスタン広場方向を望む。



            

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