そうだ、アルベロベッロ行こう


という見出しにはしたが、そう思ったのは旅の計画作成中。シリアのビーハイブハウスの流れをくむというアルベロベッロのトゥルッリをもう一度見たいと思ったのだ。前回の訪問は重い雲のたちこめた寒い日だったので、青空の下、トゥルッリを見てみたいとも思った。

さて、まだ、イタリアへは行かない。

ウンム・カイスを後にした偽物一名を含む僕ら海外協力隊員一行は、イルビットのバスステーションで本物と偽物が別れた。

その後、もうひとつのバスステーションに移動。アンマン行きのバスをさがして、一台のバスを指差して、近くの人に「アンマン?」と尋ねると、答えは「ノー」。しかし、バスステーションのオフィシャルな人(?)が、「アンマンか? ならば乗りなさい(と言ったと思う)」と同じバスを指差した。本当か(?)と思ったが、オフィシャルな人のいうことだからといって信用した。しかし、これがいけなかった。行き先はアンマンではなく、アンマンは通るが街の中心には入らず、市街へ行くには乗り換えが必要というものだった。

全然中心部に行く感じがしないので、運転手に尋ねると、「ムジャンマ・シャマーリー? それならここでおりて向こうから別のバスに乗って」と言うではないか。当然、全部アラビア語だから、そういう雰囲気を感じることができたというだけ。

指差されたところまで行って、またその辺の人に声をかけて「ムジャンマ・シャマーリー」を連発して、そこへ行きたいのだということ伝える。バスは比較的簡単に見つけることができたが、けっこう時間をロスしたようで、ムジャンマ・シャマーリーに着き、アブダリ方面へ行くバスに乗って出発を待っていると、イルビットで協力隊員の人の職場に寄ってから帰るからと言っていた、アンマン在住の協力隊員の人の姿が見えた。

しかし、実は、こういう面倒くさい移動が好きだったりする。


翌日は移動の日。

まず、アンマンからローマへ飛び、ローマのフィウミチーノ空港からテルミニ駅に移動、さらに鉄道(ES)でバーリへ移動。バーリに着いたのは、夜の8時半過ぎ。ホテルがあいているかどうか不安だったが、杞憂に終わる。翌日の好天を祈って終身。


翌日は冷たい雨。これで3度目のアルベロベッロ訪問決定(?)
バーリ発8時25分発の列車(私鉄sud-est線)でアルベロベッロへ向かう。9時50分、アルベロベッロ着。



駅から緩やかな坂道をのぼっていくと、トゥルッリ群が見渡せる所に出た。



お土産屋の並ぶ通り。ここを歩いていると、一軒の店の中から日本人女性に声をかけられた。以前訪問したときと同じだ。「陽子さんですか」「はい」。彼女はトゥルッリに住む男性と結婚して土産屋を営んでいる人で、有名人。たぶん、向こうは日本のテレビなどで紹介されているので、それで名前を知っているのだろうと思ったのだと思うが、いろいろな媒体で紹介されていることは僕は知らなかった。なぜか名前を覚えていた。以前訪問したときにもらった陽子さんの名前入りのトマトソースの作り方を書いた冊子の印象が強かった。試しに何回か作ってみたし。



陽子さんの店(トゥルッリ)の屋上から周囲を眺めさせてもらった。「ベッド・ルームも見ていきませんか?」サービスしすぎ。まあ、トゥルッリでの生活を知ってもらいたいという気持ちはわかったが、遠慮しておいた。








この日はローマまで移動しなければならないので、11時51分発の列車でバーリへ戻ったが、車窓からは以前の訪問の際には気づかなかった多くのトゥルッリを見ることができた。アルベロベッロの街のようにトゥルッリが密集して建っているのもよいが、農村にポツン、ポツンと建つトゥルッリもけっこうよいものだ。晴れた日、sud-est線を途中下車して、この辺を歩いてみるのも悪くないなと思った。


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