ビーハイブハウスの人たち


アレッポの次に向ったのはハマ。大きな水車で有名な街だが、過去3回のシリア訪問ではなぜか縁がなかった。

アレッポのバスターミナルは郊外へ移転しており、市バスでバスターミナルへ移動。ターミナルにはいるとすぐに客引きがやってきて「どこへ行く?」という。「ハマだ」と答えると、すぐにバス会社のカウンターへ連れて行かれた。いわれるままにパスポートを出し、チケットを購入すると、チケットにローマ字で名前が印字されていた。乗客名簿も作られているらしい。

バスに乗ると僕の席は最前列の通路側で、何と隣は昨日のブラピ。ダマスカスまで行くという。後ろのほうはほぼ満席だったから、どうやら外国人のために最前列をとってあるとみえる。

9時を少しだけ回り、バスは出発(ほぼ定刻通り)。バスターミナル到着からここまでわずか5分強。ラッキーだった。

10時40分ころハマ到着。ここのバスターミナルからハマの中心部までは歩いていける範囲。街の様子を知りたいので歩いていくことにする。



ハマ名物の水車。川から農業用水をくみあげるために作られたものだが、ハマの街中で見られるものは、今では現役ではないよう。


ホテルはりアド・ホテルという評判の安宿を選択。ここも近郊のツアーを催行している。この日どうしても行っておきたかったのは「土の家(ビーハイブ・ハウス)」。日干しレンガで作った円錐形の住居建築で、イタリア南部のアルベロベッロのトゥッルリという建物の源流と考えられているものだとか。公共の交通機関だと行きにくいところなので、迷わずツアーを選択。しかし、またしても参加者は僕一人で全額負担。


ツアーの出発は12時半。ホテル近くでシュワルマ・サンドをかじっているうちに出発の時刻になった。



たいへん評判のよい安宿(リアド・ホテル、カイロ・ホテル)が並ぶ通り。



リアド・ホテルのレセプションに向う階段にあるパネル。


ビーハイブハウスさえ見られればと思っていたが、ツアーにはカスル・イブン・ワルダンというところもふっついており、まずそちらへ行った。



カスル・イブン・ワルダン。6世紀半ば、ビザンチンのペルシャに対する防衛線として建設されたものということで、領主の宮殿(写真右側)と教会跡(写真左側)が残っている。









カスル・イブン・ワルダンの上層から(向こうへ伸びる道は幹線ではありません)。



カスル・イブン・ワルダンの近くに残る土の家(beehive house)。日干しレンガを積み上げた家で、『歩き方』には、ホムスからアレッポにかけての砂漠地帯によく見られるとあるが、トルコ南東部(シリアに近い地域)にもあり、この地域が文化的には同じ地域であることがわかる。



現在は物置などとして使われているものがほとんど。



住居として使われている土の家もあるが、この人たちは「土の家を壊している」ところのようだった。片言の英語での会話だったので、壊している土の家に今まで住んでいたのか、それともやはり物置なのか、壊したあとどんな家を建てるのか残念ながらわからなかった。観光客が時々訪れる村なのだが、商売をしようという人たちではなく、純粋に客を喜んで迎え入れてくれる。甘~い紅茶をふるまわれた。



住居として使用されている土の家の中。料金はおろかチップすら要求されず、好意から迎え入れてくれた。



夜のハマ。水車はこんな具合にライトアップされる。


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