発作的にユーフラテス川を見に行った

3月7日、7時50分頃、セルビスでシリアのホムスに向けて出発。今日もなんの問題もなく国境を通過。9時50分にはホムスに到着。

最初は、ホムスからクラック・デ・シュバリエという十字軍の城へ行き、それから地中海沿いに北上してタルトゥース、ラタキアを経て、アレッポへ行くつもりだった。しかし、ホムスのターミナルで急に気が変わった。ここまで来てパルミラに寄らないなんて考えられない。クラック・デ・シュバリエはあとに回そう。

運がよいことに、すぐに出発するパルミラ行きのミクロバスがあった(ミクロバスとは民営バスのなかの庶民的な安価なバス一般をさす。民営バスには高級はプルマン・バスというのもある)。

10時10分出発、13時10分にパルミラ到着。以前はシャーム・パレス・パルミラという高級ホテルの横を通り、遺跡内の道を通ってパルミラの街に入っていったが、遺跡を通らず大きく迂回して街へ入るルートに変わっていた。パルミラにやって来たという感動が少なくなって残念だが、遺跡内の環境を守るため(なのだろう)、いたしかたないところだと思う。ホテルはパルミラにおける僕の定宿となったゼノビア。遺跡内にあるホテルで環境は申し分ない。初めて泊ったときは、ボロボロで安宿の雰囲気も漂っていたが、その後改修され、高級感のただようホテルになった。

昼食後、車を雇って、まだ行ったことのない3兄弟の墓とよばれる地下墓室へ行き、その後、遺跡の西側にあるアラブ城へ行った。アラブ城はかつては入場禁止であったが、その後改修されて観光客に公開されるようになった。ということで、アラブ城も初訪問である。アラブ城からの遺跡の眺めはすばらしい。ズーっと眺めていたい景色である。ただ、珍しく若干雲が多かった。 

アラブ城で車は捨てて、徒歩で遺跡に向けて下っていった(もちろん登りも徒歩が可能)。葬祭殿のあたりから遺跡内に入り列柱道路をてくてくと歩いていく。列柱そのものは崩壊したところが多いのだが、それがかえって歴史を感じさせてくれる。視界には古代の建造物の遺構、乾燥した大地、そしてやや遠くにパルミラオアシスのナツメヤシの緑が広がる。



3兄弟の墓(だったと思う)の内部。本当は撮影禁止だが、墓の管理人のご好意で撮らせてもらえた(何のことはない、要求された袖の下を払ったのである。



アラブ城とパルミラ遺跡。




アラブ城と貴族(?)の墓(丘のすそに並ぶ四角い建物)。









四面門。遠くの山の上に見えるのがアラブ城。雲の多い日だった。



バール・シャミン神殿(中には入れない)。



バール・シャミン神殿の中。



ゼノビア・ホテルの入口の上に懸けられた女王ゼノビア(3世紀後半ローマと戦い敗れた)の肖像。



3月9日。
朝、外を見ると遺跡内の地面の緑が若干濃くなっていた。どうやら雨が降ったようだ。この時期は雨が降ることがけっこうあるのだ。

朝食の際、食堂である西洋人の客が話しているのが聞こえてきたのだが(その人もリピーターのようだった)、彼はこの季節にパルミラで雪にあったこともあるようだった。



雨のため、若干緑が濃くなった。植物の成長にとって雨が即効性を持つものであることを実感させる。



右にある平屋の建物がゼノビアホテル。左の建造物はバール・シャミン神殿。


さて、パルミラのあとはどうするか。ホムスに出て、クラック・デ・シュバリエに行くという選択肢もあるが、僕は半ば発作的にデリゾール行きを選択した。デリゾールは何もなさそうなところだが、なんとなくユーフラテス川にかかる橋を渡ってみたくなったのだ。

11時半の国営カルナックバスに乗り、13時40分にデリゾール到着。
あいにくの天気で今にも雨が降り出しそうだが、この街の唯一の目的地であるユーフラテス川へ向けて歩き出す。

パスターミナルから川まではけっこう距離があった。川は寒々として何か寂しげなムードが漂っていた。天気がよければ違った印象を受けたのだろうが。。。



デリゾール。



デリゾール橋。この橋は歩行者・二輪車専用。下を流れるのがユーフラテス川。


3時少し前、川からタクシーをとばして、バスターミナルにもどった。すぐにアレッポ行きのバスをつかまえるつもりだった。ところがである。国営カルナックバスとプルマンバスはすべての方面行きが満席。困った顔をしていたのだろうか、片言の英語を話すシリア人が声をかけてくれて、別のバスターミナルに連れて行ってくれた。こちらはミクロバスのターミナルのようだ。ここでもバスはのきなみ満席。その親切なシリア人の話によると、この先数日すべてのバスが運行されないという。言葉の問題でなぜ運行されないのかわからないが、その彼もダマスカスに行かなければならないのにチケットが買えず困っていると言っていた。
 
彼の手助けによって、深夜12時30分発のアレッポ行きのチケットが手に入った。しかし、天気も悪いし寒い。9時間も時間をつぶすのはきつい。ということで鉄道駅へ行ってみることにした。

 『地球の歩き方』の簡単な地図を頼りに歩いていったが、なんと40分を要した。駅舎は小さなものだった。駅舎の中にはここで仕事をしているらしい青年がいて、その弟かなにかわからないが3人の少年・子供たちが遊んでいた。アレッポ行きの列車の時刻を聞くと20時発で所要時間は5時間とのこと。アレッポ到着時刻が深夜となり、あまりよいスケジュールではないが、鉄道にも乗ってみたいので、バスはやめにすることにした。

ところで、駅員だと思っていたその青年は駅のカフェテリアの人で、切符売り場は別にあった。しかし、まだ列車まで時間があるので窓口は開いておらず、彼らと話をしながら(といってもほとんど会話は成立しないのだが)、時間をつぶした。また、食事もご馳走になった。彼らの夕食のメニューはピラフ、フライドポテト、揚げゆで卵、ピクルスで、この旅で一番うまいといっても過言ではない食事だった。今になってみると、皆で記念写真でも撮っておけばよかったと思う。

列車の時刻が近づくと、駅にはどんどん乗客が集まってきたが、列車はなかなか来ない。結局、21時過ぎになって到着、21時15分に出発した。

どこから来た列車かはわからないが、すでに多くの客が乗っていた。
僕のチケットは2等で自由席のようだが、どの車両に乗っていいのかわからない。適当に乗って空いている席にすわったが、どうも1等の車両に乗ってしまったようだ。検札がきたら差額を払おうと思っていたが、検札の車掌は、僕のチケットをチェックして何も言わずに行ってしまった。実は検札は頑強な感じのするおじさん車掌2人が組になって行っており、チケットのない、もしくは2等チケットで乗っているらしい客にはかなり強い態度で臨んでいるような感じだったから、おそらく外国人だし、ということで見逃してくれたのだろう。まわりの乗客たちも親切だった。

3月10日、午前2時20分、アレッポ到着。この旅で一番シリアの人々とふれあえた長い一日が終了した。



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